日産・初代フェアレディZ試乗記 【アーカイブ】

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GT-Rと並び、日産を代表するスポーツカーが「フェアレディZ」。もう間もなく7代目となる新型が登場予定だが、「フェアレディ2000」の後継車として初代Zが登場したのは今から51年前。以来、半世紀に渡って多くのファンを魅了し続けてきた。

そこで今回は、その初代モデル登場時の試乗記を紹介しよう。試乗車は登場時シリーズ最上級モデルだった「Z432」だ。

<交読新聞・日曜マイカー版 1969年(昭和44年)12月7日号掲載>
フェアレディZ432試乗記

ロング・ノーズ、フル・ファストバック・スタイルのフェアレディZ432の試乗車は、原色に近いようなイエローに塗装されていた。

11月29日。ナンバーを午前中にとったばかりのニューカーで、仮ナンバーで走りまくったから走行キロメーターは5000キロを指していた。

時間の都合で、3時間約220キロのテスト走行(一般都内と東名高速道路)しかできなかったが、フェアレディZ432の魅力は十二分に味わうことができた。

フェアレディZ432は、フェアレディZシリーズのなかでもZ432-Rにつぐ高性能マシン。ニッサンR328のエンジンをデチューンして搭載したもので、ソレックス型キャブレターを三個装備し、1気筒当り4バルブのDOHC、1989cc。160馬力/7000回転、最大トルク18.0kgm/5600回転の強大なパワーを持っている。

Z、Z-LがSOHC、SU型ツイン・キャブレター、130馬力/6000回転なのに比べると、同じフェアレディとはいいながら雲泥の差をもったマシンだ。

ドアを開けてコックピットにおさまると、目の前にメーターパネルが広がる。右にスピードメーター、左にタコメーター。ダッシュボード中央上部にオイル計、電流計、水温計、ストップ・ウォッチつき時計が三連装されている。

普通、時計がついていてもストップ・ウォッチ付は、初めて採用したもの。これだけでも、スポーツカーとしての気分をあふれさせてくれる。

メーター類は深いフードにおおわれているが、そのためか、ダッシュボードはかなり凸凹している感じがする。なんとなく岩に相対しているようで、この面のレイアウト、デザインをすっきりさせてもらった方がよい気がする。

もっとも、いままで、あまりお目にかかったことのないデザインだけに、見慣れないせいもあるかもしれない。事実、試乗を終えた頃には、ほとんど気にもしなくなっていた。

エンジンの始動は、かなり気難しい面を感じる。暖まっているときはよいが、冷え切っているときは一発でかけないと、プラグが濡れてしまいそうだ。

シートはバケット・タイプ。ヘッドレスト一体型で、ピッタリと包み込まれてしまう。このシートはなかなかよい。

シートを最後尾にセットし、やや背もたれを一段後ろにすると、腕はピッタリと伸び、足も直線的に伸びる。

シートはかなり深いから、この位置にセットすると、目の位置がちょうどガラスの下部、ワイパーの位置になり、ボンネットは中央の盛り上がった部分がチラリと見えるだけ。もちろん、ロング・ノーズの先端部分は見えない。

シフトレバーは3速と4速の間にリリーフ・スプリングで押し付けているタイプ。1速側は、やや入り難い感じ。ミッションのせいか、各ギヤともカチッと入る感じではなく、モソモソッと入っていく感じだったが、決まるべきところはちゃんと決まっている。

記者にとって、レバーの位置がちょうどいいためか、手元でヒジを曲げた形で楽にシフトできる。1速で50キロ/時、2速で80キロ/時と、かなりよく伸びる。このあたりが、Z432の432たるゆえんかもしれない。ちょいと油断していると、スピードメーターはたちまち80キロ/時を指しているから、都内走行では、抑え気味に走らなければならない。

逆に東名に入ると、432はたちまち、生きを取り戻したように走る。1速、2速、3速と各ギヤをフルに伸ばして、たちまちメーターは180キロ/時を指す。トップから、レバーを右手前に引っ張って上に上げ、5速に入れる。この5速になると、タコメーターは4500回転からで、エンジン音も、ほとんど気にならないぐらい静かになる。

足回りは、さすがに低くなっているだけにぐっと安定している感じ。東名で高速カーブをきっていると、やや強めのアンダー・ステアリングを感じる。

フロント、リヤともストラット・タイプのサスペンションを採用している。フロントのストラットは普通だが、リヤのストラットは初めての採用。特許申請中のものだそうだ。

いわゆる接地性、走行安定性が数多くのスポーツカーに乗ってみた感じとかなり違った印象を受けるのも、このせいかもしれない。

180キロ/時からのブレーキ・ダウンは、手放しでも大丈夫なほど、すばやく落ちる。

Z432は、まだ市場には出ていないためか、マチでもハイウェイでも、熱い視線を集めた。ハイウェイではGTカーの挑戦を受けた。それらをアッサリと振り切って走る気分はなにものにも代え難い。

SS1/4マイル15.8秒、最高速度210キロ/時の実力は、せまい東名高速道路ではなかなか生かしきれない面もある。

しかし、軽くアクセルを踏んでいて、5速に入れ、常時150~160キロ/時で、流し走行が出来るのも、フェアレディZ432ならではの芸当かもしれない。

2座席だが、リヤのトランク?ルームは非常に広い。かなり荷物を積み込むことも出来る。

フェアレディとは同じ名称だが、Zシリーズは、いわば全く新しいジャンルに属するスポーツカーであった。

取扱いは日産店。廉価なスポーツカーといわれるフェアレディZだが、ブルーバードのSSSが70万円台なのと比べると、やっぱりちょっと高めのプライスだ。

【解説】

昭和30年代、日産は輸出拡大を進めてきたが、昭和40年(1965年)の貿易・資本の自由化から性能・価格の両面で国際競争力を高める必要に迫られ、さらに国際収支改善という見地から輸出のさらなる拡大が望まれた。このような背景から、企画段階から米国市場向けに開発されたのが「フェアレディZ」である。

国内では昭和44年(1969年)10月に発表され、11月に発売。発売時の構成は3グレードで、標準の「フェアレディZ」(93万円)、これに5MT、カーステレオ、ストップウォッチ付き時計、リクライニングシート、ゴムバンパー、リヤ熱線プリントガラス、助手席フットレスト等を装備した「フェアレディZ-L」(108万円)、さらにDOHCエンジンを搭載した「フェアレディZ432」(185万円)となっていた。また「Z432」はマグネシウムホイールが標準だったが、スチールホイールとした仕様(160万円)も設定された。

月産計画はZシリーズ全体で2000台だったが、うち1500台が対米輸出。国内は500台の販売計画であった。

試乗車である「Z432」は最高出力160㎰で最高速度215km/h。当時の国産2L車としてはハイパフォーマンスな本格スポーツカーで、その高性能ぶりは試乗記からもうかがえるが、それなりに運転技術も要求されるクルマであったことも感じさせる。また記事中、エンジンの始動性の悪さにも触れているが、これは当時のスポーツエンジンに共通するものであった。

北米市場での販売拡大のために登場したフェアレディZであったが、日産の狙い通り北米でも大ヒット。その後も代を重ねていくこととなった。

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