世界初の女性ドライバーはベンツ夫人

コラム・特集 車屋四六

頭脳明晰機械好きで神童と呼ばれたベンツの少年時代は貧しかったが、母親の頑張りで工科大学を卒業後は、機械工場を歴遊しながら多くの知識技術を習得した。

ガソリン内燃機関開発ではダイムラーに鼻の差で破れたが、自動車となれば、三輪車ではあるがベンツが世界初。
で、商才に長けたベンツは、その車が走る半年も前に、特許を取得するというチャッカリ屋で、それは「ガソリン動力で走る車」として1886年に世界初の特許が成立している。

ベンツ特許自動車の広告:車輪は木製の上に鉄輪が嵌められているようだ/前照灯と云うよりは車幅灯は蝋燭型のようだ。板バネ上に車体を載せるのは馬車からのもの

1888年「ベンツ・パテント・モトールワーゲン」=ベンツ特許自動車の名で、世界初の乗用車が販売されたが、不人気だった。
一方妻のベルタは、早朝夫に内緒で子供を連れ、106㎞離れた実家に出発した(女性世界初の運転と長距離ツーリング)。
帰宅後、坂が登れず子供に押させたとの彼女の報告で、ベンツは変速機を開発し、さらにブレーキブロックに革を貼る改良を。で、ベンツ夫人は、世界初の女性テストドライバーということにもなる。

ベンツ車をドライブするベルタ・ベンツ

一方、ベンツは1895年に世界初ガソリン内燃機関での貨物自動車を、更にバスも開発。また、相対するピストンで振動を相殺するとして1896年に水平対向発動機の特許も取得している。

「山登りも気楽」と売りだした特許自動車は不評だったが、93年発売のビクトリア3馬力で売れ出し、翌年登場のベロ1.5馬力の追加で快進撃が始まった。ベロは世界初の量産モデルになり、95年135台、98年434台、99年には遂に2000台に達した。

世界初量産型自動車ベンツ・ベロ:ワイヤースポークホイールにソリッドゴムタイヤが嵌められている/車幅灯は蝋燭のよう/警報ラッパも装備/後輪に革パッド付ブレーキ

さてメルセデスを説明する前に話すことがある。史上初のスポーツカーは1896年登場のボレーだが、今なら「空力学的に」と解説するであろう流線型三輪車で、水雷艇の異名も生まれ「時速50㎞と驚くべき俊足」というのが当時のスポーツカー事情だった。

「隣の車が小さく見えます」はカローラに追い越されたサニー苦肉のCMだが、競争心理は古今東西むかしからのもの。
で、オーストリーの金満家イエリネックは「誰にも負けぬ速い車」を造ってくれるなら4台欲しいと、97年にダイムラー社に発注したが、一つ条件を付けた「急行列車より速いこと」当時の急行列車は時速40㎞だった。更に早ければと6台をと追加した。

その結果は次回に引き継がせて頂くが、次回はメルセデスの名の由来も説明したいと思っている。

 

車屋四六:1960年頃よりモーターマガジン誌で執筆開始。若年時代は試乗記、近頃は昔の車や飛行機など古道具屋的支離滅裂記事の作者。車、飛行機、その他諸々古い写真と資料多数あり。趣味はゴルフと時計。<資格>元JAFスポーツ資格審査委員・公認審判員計時一級・A級ライセンス・自家用操縦士・小型船舶一級・潜水士等。著書「進駐軍時代と車たち」「懐かしの車アルバム」等々。

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