自動二輪車…玩具から実用へ

コラム・特集 車屋四六

工場入口で材料を入れて、スイッチONで自動車がゾロゾロ出てくる御時世、魅力ある個性を求めるのは無理のようだが、一部の愛好家は、命が通っているのは1930年頃までだと云う。
欧米愛好家に聞くと、1904年迄をベテラン、05年~18年はこよなく車を愛した英国王にちなみエドワーディアン、WWⅠ後の19年~30年迄をビンテージと呼び、区分しているそうだ。

クラシックカーと呼ぶと、古けりゃ良いというものではなく、30年以降を指すのが正しいようで、古いとはいえ数が多いので値段も安くコレクションしやすい。

今ではジジイになった我々が、若い頃に可愛い娘だましに使った車も、今ではクラシックカーの仲間入りしている。
その頃、車にベッドがあればとの願望を実現したのは、前席の背を倒すとベッドに早変わりという、49年型ナッシュだった。

昭和30年代から40年前半、解体屋の買い取り相場は一律5000円程。下取りに出した車も含めて今にして思えば残念なことである。
まあ都心で土地がないから無理だったろうが、30年、50年を経れば、どれもクラシックカーになれたのだ…50年代のライレイ、ランチェスタ、ダイムラー、ジャガー、キャデラック等々を、5000円で売ってしまったのが悔やまれる。

さて19世紀のバイクは「大人の玩具で実用にならぬ」という人も居るが、ミュンヘンのヒルデブランド&ウオルフミューラー/H&W、コベントリーのホールデン、パリのワーナーなどは量産されて活躍した。

独ヒルデブランド&ウオルフミューラー:世界で初めて規格量産された自動二輪車

昭和20年代、数寄屋橋界隈の朝日新聞や読売新聞などに通った。よだれが出そうなインディアン、ハーレーダビッドソン、BSA、ノートンなどが見られたからだ…原稿や写真を運んでいたのだ。

同じ目的での史上初採用は、初期自動車レースで度々名が出るパリのプチジャーナル社で、H&Wをまとめて買ったのが1895年/明治28年で、バイクを実用品と世間に認めさせたのである。

もっともH&W社は、ある意味けしからん会社だ。リリエンタールが航空発動機の開発を依頼したのがウオルフミューラーだが、完成すると取りあえずバイクに載せてみた。ところが、これが評判で売ってみたら、日産10台にもなるほど好調に成長していった。
で、航空発動機なんかに手が回らない。かわいそうなのはリリエンタール、発動機を待ち焦がれながら飛び続けたグライダーで墜落死。もし発動機が届いていれば、史上初飛行は実力からして、ライトより早くリリエンタールが手にしたはずである。

ちなみにH&Wは生産ラインで量産された世界初のバイクで、その後、各国でライセンス生産された。英トライアンフ社では1894年から僅か3年で1000台も売るほど好評を博したのである。

ワーナー自動二輪車:当時前後勝手に搭載されていた発動機を三角フレーム中心に搭載で安定感を得、この形式が世界に広まる

車屋四六:1960年頃よりモーターマガジン誌で執筆開始。若年時代は試乗記、近頃は昔の車や飛行機など古道具屋的支離滅裂記事の作者。車、飛行機、その他諸々古い写真と資料多数あり。趣味はゴルフと時計。<資格>元JAFスポーツ資格審査委員・公認審判員計時一級・A級ライセンス・自家用操縦士・小型船舶一級・潜水士等。著書「進駐軍時代と車たち」「懐かしの車アルバム」等々。

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