誕生した実用バイクは蒸気機関だった

コラム・特集 車屋四六

さて、気球が熱と水素で飛んだのは既に述べたが、1776年英人ガバンディッシュが水素を創り出し、その空気より軽い水素でと、モンゴルフィエと張り合ったのが仏人シャルル教授。

1783年11月21日、モンゴルフィエの熱気が8.5㎞/25分で世界初有人飛行に成功したが、その僅か10日後の12月1日に、シャルル教授の水素気球はチュイルリー公園から43㎞/2時間の飛行に成功…僅か一ヶ月強、長い歴史の中のマバタキほどの一齣で、栄誉は右から左に…が後世、人の役に立つのは水素気球なのだから、人ごとながら気の毒なものである。

さてモンゴルフィエが有人飛行を発表すると、ルイ16世は「空は神の領分・人が犯すと天罰が下る」…で、またもやギロチンという死刑囚の搭乗を命じたが、元気の良い若者が名乗りを挙げた。

26才のロジェール侯爵とダラント侯爵「アヒルは大丈夫だった」と強行し、人類初飛行の栄誉を手にした。本当に神罰が下るのなら、ソ連のガガーリンなんかは、とっくに雷にでも打たれていただろう。

その後ロジェールは、ドーバー海峡横断を計画し、飛行実験中にブローニュで空中火災発生は世界初の空中火災だった。結果、世界初の航空機からの墜落死者となる。これが天罰といえば天罰だったかもしれないが、ロジェールは三つの世界初記録保持者となった。

18世紀に生まれた気球は、19世紀に動力を得て飛行船に昇格し、20世紀に内燃機関を得て実用化を果たし、WWⅠではロンドンを爆撃し、その後、大西洋横断の定期航空にまで発展する。

もっとも気球も個性を生かして、WWⅡ中に日本陸軍の爆弾を抱えて太平洋を偏西風にのり米国を爆撃したこともある。いずれにしても、長年月芽を出せなかった幼稚な道具は、内燃機関という良き伴侶を得て、いっせいに開花して、航空機、自動車と発展するのだ。

その自動車だが、自動二輪車で特許を取ったのはバトラーだが、ダイムラーが世界初というのは、内燃機関で走らせということで、単にバイクとなれば、気球ほどに歴史をさかのぼれる。

1784年、ワットの蒸気機関と同じ頃、ワットの仲間だったバーミンガムに住むマードックは、ワットの蒸気機関車に対抗して、蒸気機関で三輪バイクを完成、走行している。
で、バイクの世界初は英国ということになり、その後、各国で試行錯誤が繰り返されるが、実用的なバイクが登場し、特許が増えてくるのは、19世紀半ばになってからである。

バイクで現存する最古のモデルは、米スミソニアン博物館のSHローパーと仏ミショーペリューだが、ペリュー式は、サドル下の小型蒸気機関で後輪をベルトドライブするが、大型前輪に足踏みペダルが付いた初期の自転車型である。

ミショーペリリューの蒸気自転車

一方ローパーの方は、ピストンのコンロッドで直接後輪を駆動し足踏みペダルがないから、機構的には近代的で、両車とも1896年頃の製品である。

ペダル付自転車型は、現在もシクロモーターの名で欧州で量産されているが、19世紀/1885年、米フィラデルフィアに登場したコープランドは、子供の背丈ほどの後輪を蒸気機関でベルトドライブというサーカスみたいなバイクを売り出し、5年間で200台も売ったので、これが世界初の量産バイクと云って良いだろう。

1885年英国に登場した安全自転車:ペダルから後輪をチェーンドライブする仕掛けの発明で、前後輪直径が同じになり停車中足つき可能になり安全になった。これ以後、自転車は長足の進歩を遂げる。

 

車屋四六:1960年頃よりモーターマガジン誌で執筆開始。若年時代は試乗記、近頃は昔の車や飛行機など古道具屋的支離滅裂記事の作者。車、飛行機、その他諸々古い写真と資料多数あり。趣味はゴルフと時計。<資格>元JAFスポーツ資格審査委員・公認審判員計時一級・A級ライセンス・自家用操縦士・小型船舶一級・潜水士等。著書「進駐軍時代と車たち」「懐かしの車アルバム」等々。

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