発動機登場で気球は飛行船に

コラム・特集 車屋四六

1782年、飛行機より先に地上を離れた道具は、仏人モンゴルフィエの熱気球…それを知ったルイ16世とマリーアントワネット王妃の希望で、ベルサイユ宮殿でデモ飛行…が、直前に上空での空気の有無が問題になり、王は死刑囚を乗せよと命じたが、羊・あひる・鶏を乗せて3㎞ほど飛び、上空でも空気があることが証明された。

翌1983年に、冒険好きの二人の侯爵が飛んだのが、人類初有人飛行で、1984年には女性の史上初飛行も実現している。

ベルサイユ宮殿から離陸直前のモンゴルフィエの熱気球:当時空に空気の有無が不明で死刑囚搭乗が命じられたが、取りあえず羊・あひる・鶏で高空にも空気の存在を証明。もし命令実行なら人類初飛行の名誉は死刑囚のものに。

1766年、英人科学者が鉄・錫・亜鉛+硫酸=水素発生に成功…で水素気球の飛行成功が、モンゴルフィエより僅か遅れの1783年。
その後、両者は競い合うが、利便性で勝る水素が主流になる。

その後、気球の実用化に励むが、気球には方向性が無く風任せだから、郵便や交通機関にと努力しても駄目…で考えついたのが推進器を付けることだが、肝腎の動力がなかった。

が{待てば海路の日和}との諺どおりの動力誕生で、気球は飛行船になり発展を遂げるが、気球の方は交通機関には成り得なかった。
が結果的に気球は飛行船より長寿名で、高所からの遠方監視や広告アドバルーンなど、また米本土空襲の日本の風船爆弾などと活躍、私が子供の頃にあった阻害気球は長い綱で気球を上空に揚げて敵機を引っかけるという、かすみ網戦法で、WWⅠ頃にはかなりの戦果を挙げていたようだ。

方向性がない気球の実用化で+動力を、丸は抵抗が多いと流線型に、と種々アイディアが登場進化していった/撮影パリ・ブルージェ航空博物館

さて1888年、世界で初めて飛行船をガソリン内燃機関で飛ばしたのはダイムラーだが、その船体を造った、優れた科学者ベルフェルト博士は相当な呑気者らしく、後日キャビンに充満した排気ガスで飛行中に死んでしまった。

飛行船で、忘れてならならないのはパリ在住のブラジル珈琲王の息子、サントス・デュモン。1898年に1号艇を造り、矢継ぎ早に改良艇を多発、全長33m・容積622㎥・ダイムラー発動機改良のアシュエット型16馬力搭載の6号艇が、記録を樹立する。

エッフェル塔を廻る11.6㎞往復飛行に成功、見事に懸賞金10万フランを手にしたが、その後が憎らしい…「名誉は頂くが金はいらない」と、パリ市に寄付したから、人気は更に上がった。

さてダイムラーとベンツが開発した、ガソリン内燃機関は、改良が進み、コンパクト高性能化し活躍が始まるが、その話しは次回に。

飛行場から11.3㎞先のエッフェル塔を折り返し30分以内に帰れば10万フランという懸賞獲得の飛行船サントスデュモン6号艇

車屋四六:1960年頃よりモーターマガジン誌で執筆開始。若年時代は試乗記、近頃は昔の車や飛行機など古道具屋的支離滅裂記事の作者。車、飛行機、その他諸々古い写真と資料多数あり。趣味はゴルフと時計。<資格>元JAFスポーツ資格審査委員・公認審判員計時一級・A級ライセンス・自家用操縦士・小型船舶一級・潜水士等。著書「進駐軍時代と車たち」「懐かしの車アルバム」等々。

 

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