世界はフランスを中心に廻っている

コラム・特集 車屋四六

人類古来の夢{空を飛ぶ}では、熱気球、パラシュート、飛行船など、飛ぶにしろ、飛び降りるにしろ、空に関する世界初はいずれもフランス人で、それがフランス人のプライドでもあった。

で、自動車も含めて、当時の最先端技術や科学は、パリが中心だと自負していたようで、フランス人、特にパリッ子は気位が高かったようだ…で、世界で一番美しい言葉はフランス語だと決めて他国語を分かろうとしない。近頃はどうか知らないが、わかってもわからない振りをすることさえあった。

1966年パリで車関係のPR会社社長から「フランス人は英語を判らない振りをするから注意」と云われた…ある日煙草屋でROYALを指さし「ロイヤル」と云うとオバチャンの顔は「何て云ったの?」…一坪ばかりの店で指させば判るはず…で、恥ずかしながらカタカナ仏語で「ロワイヤル」…オバチャンはニコッと笑顔で「有難う」…煙草を手にした喜びより、腹が立つ方が先だった。

話しの脱線を元にも戻して、そんなパリッ子が飛行世界初を米国にさらわれてシャクにさわる姿は目に浮かぶようだ…「我々ですら飛べないのに米国の田舎者に飛べるはずがない」と。

一部報道では「あれはカナールだ」…カナールは仏語では鴨。で、先尾翼型をカナール型と云うが、仏語ではインチキ・ガセネタの意があり、ライト機を素直に鴨型と受けとってはいけないようだ。

さてベンツの三輪乗用車は四輪になり、あとを追うメーカーが多出するが、その中で現代の自動車と同構造…前に発動機→クラッチ→変速機と一列に並べて後輪を駆動する形式を開発したのがパナールルバッソールで1891年のことだった。

パナールルバッソール/ダイムラー4気筒3562cc12馬力・4MT:フィンチューブ冷却器を後部から前方に移設/1899年

ちなみに木工業者のパナールとルバッソールは、ガソリン内燃機の将来を見越して、ダイムラーV型2気筒の製造権を得て、これがフランスで自動車が発達する原動力となった。

一方、二輪の元祖はダイムラーだが、その前年1884年に特許を取ったチャッカリ者が英国のバトラー。彼のザ・ペトロールサイクルと名付けたバイクが、時速19㎞で走ったのは88年だが、発売されることはなかった。

ロールスロイスの装甲車で暴れ回った、アラビアのロレンスがバイクで事故死したように、英国人は二輪が好きで、1910年頃から数々の名車が生まれるが、その話は後回しにする。

ロレンス愛用の7台目のブラフシューペリア:この二輪で事故死/二輪のロールスロイスと評された英国の高級高性能車

 

車屋四六:1960年頃よりモーターマガジン誌で執筆開始。若年時代は試乗記、近頃は昔の車や飛行機など古道具屋的支離滅裂記事の作者。車、飛行機、その他諸々古い写真と資料多数あり。趣味はゴルフと時計。<資格>元JAFスポーツ資格審査委員・公認審判員計時一級・A級ライセンス・自家用操縦士・小型船舶一級・潜水士等。著書「進駐軍時代と車たち」「懐かしの車アルバム」等々。

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