発動機があったらばという話し

コラム・特集 車屋四六

ガソリン内燃機関がダイムラーとベンツの発明で完成し、自動車、船、飛行船が実用化すると、当然次は飛行機ということになる。
さて飛行機の世界初飛行は米ライト兄弟だが、その陰には出力を向上しながら軽量化に成功した発動機があったのだ。

もっと早く軽量発動機があれば、レオナルド・ダビンチが世界初飛行に成功していたかもしれないし、逆にライトが数十年早く生まれていたら平凡な一生を送っていたかもしれない。ライトフライヤーが飛んだ1903/明治36年には飛行機に使えそうな発動機がかなり存在したのが幸いしたのである。

史上初飛行成功のライトフライヤー:奥の壁紙は地上を離れた歴史的瞬間

「この飛行機は飛びます」と後世に太鼓判を押されたロシアのモジャイスキーの飛行機は、1884年当時としては最良パワーだった10馬力と20馬力の蒸気機関を搭載していたが、煙突からいくら煙を吐いても、地面を離れることが出来なかった。

ライトはグライダーで予備実験をしたが、1910年頃には実用機のベストセラーを生産していた仏ボアザン兄弟は、ライトより早く1899年にグライダー飛行に成功…当時の実力から勘案して、世界初はボアザンでおかしくないと云われているが、適当な発動機がなかった。

18機ものグライダーで飛行実験を繰り返し、飛行理論を確立した独オットー・リリエンタールが1896年に墜落死しなかったら、彼の実力からも世界初は彼が手にしただろう…もっとも彼が発注した発動機メーカーが、試作したバイクが好評で納品せず、その間に墜落死したので、即納していたらと悔やまれるが。

リリエンタールは丘の上から滑空を繰り返し改良しながら沢山のグライダーを造り、飛行理論を構築、その理論はライト兄弟も参考にしたほどである。

惜しいことに飛行世界初は日本にも機会があった。二宮忠八の飛行器で、ゴム動力の模型機は地上滑走・離陸・飛行と成功。実用化援助を陸軍に申請するも却下…この玉虫型飛行器は後世専門家が飛行可能と判断し、1954年英王立航空博物館が{ライトより先に飛行原理を発見}と紹介している。

二宮忠八の玉虫型飛行器

さて発動機は自動車や飛行機という良きパートナーを得て、走り飛ぶことに成功し、長足の進歩を遂げるが、WWⅠで急速に進歩、それが自動車にフィードバックされ、レースで鍛えられ、更に飛行機用にと、繰り返されて進歩したと云う人が居るが、実際には独自に進化したと私は思っている。

 

車屋四六:1960年頃よりモーターマガジン誌で執筆開始。若年時代は試乗記、近頃は昔の車や飛行機など古道具屋的支離滅裂記事の作者。車、飛行機、その他諸々古い写真と資料多数あり。趣味はゴルフと時計。<資格>元JAFスポーツ資格審査委員・公認審判員計時一級・A級ライセンス・自家用操縦士・小型船舶一級・潜水士等。著書「進駐軍時代と車たち」「懐かしの車アルバム」等々。

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