1998年NZで初代シビックに出会う

コラム・特集 車屋四六

1998年カミさんとニュージーランド/NZへ。ふと気がつくと街中を古い車が沢山走っている。其処で出会ったのが初代シビック。
ちなみにNZは中古車天国で当時8割が日本車。もう日本では見られない懐かしいのが元気に走っているのだから嬉しくなる。30年も走ってこんなに綺麗?「湿度が低いから錆びない」が答えだった。

もっとも彼等の運転は至極のんびり、郊外ではギアシフトもせず延々時速100㎞程度で走り続ける。ターボの軽を高回転でガンガン飛ばす国民には苦手な走り方である。

さてホンダは、軽トラのDOHC、スポーツカーS600など高回転が得意な会社だが、シビックでは一転して温和しい性格に生まれ変わった。最高速度も控えめに145㎞、小さな投影面積に大きな居住空間という、相反する要素を両立させて注目を浴びた車である。

四気筒を横置+四輪ストラット懸架+前輪駆動で稼ぎ出す大きな居住空間というパッケージングは、その後世界の同クラスに影響を与えたのである。

初代誕生は77年7月だが、10月には世界中が頭を悩ます75年施行予定のUSマスキー法排ガス規制を、世界で一番乗りのCVCCエンジンを搭載して、またもや世界の注目を集めた。

CVCCエンジン搭載のシビックを試乗中の筆者

その心臓はロングストローク型OHCで1169cc・独特なCVキャブ二連装で60馬力・値段はStd43.8万円、ハイDX50.8万円だった。
66年サニーとカローラ登場で始まった日本の大衆車時代の総仕上げ的作品がシビックだった。そして同クラスで当時常識的な3BOXから2BOXという提案を、日本市場で認めさせたのである。

72年といえば昭和47年。日本の大成長が始まろうという頃で、俗に云う{三角大福戦争}が終結し、佐藤内閣から田中角栄内閣発足。例の日本列島改造論①過疎と過密解消→工業地帯再配置②25万都市建設③新幹線建設④高速道路建設など、良かれ悪しかれ高度成長の幕が切って落とされた。(三角大福=三木武夫・田中角栄・大平正芳・福田赳夫)。

そんな時代のシビックが綺麗なままNZを走っている。懐かしい、嬉しい、日本で生まれてどんな旅の末NZに来たのだろうか。
NZ訪問は1998年だが、2011年カンタベリー大地震で、カミさんが記念写真を撮ったクライストチャーチ大聖堂が破壊され、70億円ちかい費用に修復断念、解体決定という惜しまれる報が届いた。
あのシビックまだ元気に走っているだろうか…そう願っている。

1904年完成のクライストチャーチ大聖堂とカミさん/1998年:2011年2月22日の地震で尖塔が壊れ、6月13日の余震で名物ステンドクラスを含む聖堂も壊れ再建断念が惜しまれる。

 

車屋四六:1960年頃よりモーターマガジン誌で執筆開始。若年時代は試乗記、近頃は昔の車や飛行機など古道具屋的支離滅裂記事の作者。車、飛行機、その他諸々古い写真と資料多数あり。趣味はゴルフと時計。<資格>元JAFスポーツ資格審査委員・公認審判員計時一級・A級ライセンス・自家用操縦士・小型船舶一級・潜水士等。著書「進駐軍時代と車たち」「懐かしの車アルバム」等々。

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