兵器から民生へしたたかに生き残るジープ

コラム・特集 車屋四六

90年代、流行を始めたRVを持たないホンダがジープ(チェロキー)を売ったことがある。で、大きな販売網に載ったジープは売り上げを伸ばし、高値安定の輸入車価格破壊の火付け役にもなった。

ジープは、クライスラーがAMCを吸収した時の手土産的ブランドだが、独特な個性でライバル無し、今やクライスラー社の虎の子的存在。

そのルーツは、アメリカンバンタム社が陸軍の要望で開発の四駆を、1904年創業のウイリスオーバーランド社が、WWⅡで42年から量産したのが始まりで、フォードも加えて45年の終戦までに60万台余を生産した兵器だったのだ。

ちなみにウイリス社は、18年頃にはフォードT型とタメを張り、販売量全米二位を誇ったこともあるのだが、バンタム社開発のジープを改良、WWⅡ中軍御用達になったのには、大企業らしい裏工作があったようだ。

さて終戦到来、ジープの発注消滅で本業に戻るのは他社に同じだが、既に兵器としては無用になったジープで復活を選んだのはラッキーだった。他社同様、常識通り戦前型で復帰の道を選んだら、50年代の淘汰の波に飲み込まれていたかもしれないからだ。

で、武骨なジープは、軍の需要は極端に減ったが、民間の作業用やレジャー用に需要の開拓を計ったのである。
まず46年にはステーションワゴン/SWを開発し販売開始。戦前からSWといえば、木骨ベニヤ張りの高級乗用車だったが、それを鋼板モノコックで造り、木造もどきに仕上げたのである。

下の写真はかなり後の三菱製なので色が違うが、原型は茶とベージュで木骨ベニヤ張り風だった。しかも四駆ではなくFR、おかげで米国での販売価格は$1495で他社の本物SWよりかなり安価だった。

三菱製ジープ・ステーションワゴン:塗色が異なるが、誕生当時は木骨&ベニヤ風。側面の凸部分が濃い木骨塗色だった。

開発がバンタム社、その他の費用が軍需で償却済みなのも安価に繋がったことだろう。元来丈夫さでは天下一品のジープベースのSWは好評で、48年にジープスター$1765も派生する。
ネーミングは、武骨なジープムードを残して、ジープスター・2ドア・フェートン。直四Fヘッド・2147cc・圧縮比6.5・65馬力。

ジープスター:売り出せば今でも売れそうな姿だ。

ちなみにFヘッドとは、シリンダーヘッド側に排気バルブ、ブロック側に吸気バルブというOHVとサイドバルブの合の子的機構で、50年代迄のロールスやローバーには健在で珍しいものではなかった。

52年になりSWと交代で、武骨な前述製品とは打って変わった、スタイリッシュなエアロウイリスと呼ぶ中形セダンが登場する。当時ウイリス社の販売網がないエアロウイリスは日本では珍しかったが、進駐軍キャンプなどではチラホラと見掛けた。

エアロウイリス:3A6021ナンバーで米軍関係者の所有と判る。後方クライスラーと戦前の米国セダン。都内を走るリヤカーを曳く自転車が写り、女性のスカートが長い。

そのウイリス社がクライスラーに吸収され、クライスラー社はダイムラー傘下になるがやがて離婚、現在はフィアット傘下になり、ジープが日本市場での輸入販売量で上位なのは意外に知られていない。

 

車屋四六:1960年頃よりモーターマガジン誌で執筆開始。若年時代は試乗記、近頃は昔の車や飛行機など古道具屋的支離滅裂記事の作者。車、飛行機、その他諸々古い写真と資料多数あり。趣味はゴルフと時計。<資格>元JAFスポーツ資格審査委員・公認審判員計時一級・A級ライセンス・自家用操縦士・小型船舶一級・潜水士等。著書「進駐軍時代と車たち」「懐かしの車アルバム」等々。

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