グレン・ミラーとダッジ

コラム・特集 車屋四六

1997年の東京モーターショーでの「懐かしの名画」コーナーで、1922年型ダッジを見つけた。映画グレン・ミラー物語に登場というのだが、22年というとフランスでGPレースが始まり、トランペットの巨匠ルイアームストロングが、キングオリバー楽団で演奏家として第一歩を踏み出した年でもある。

ダッジは6年後にクライスラーに吸収されるが、未だ独立メーカーで、日本ではドッジと呼んでいた。頑丈が売りで、6.3万台生産の22年型には前記型と後期型があり、前窓にバイザーが付いているモデルは後期型で、5座席セダン/1440ドル。直四SV・3397ccは圧縮比4で35馬力/2000回転・タイヤ径が80㎝もあった。

1923年型ダッジ四ドアセダン/ダッジブラザース社の広告。

主人公のグレン・ミラーは、日露戦争勃発の1904年/明治37年アイオワ生まれ。長じてスイングジャズ時代のスターに。スイングジャズとは、ビッグバンド時代の次の世代で、35年から45年頃迄の時代を指す(41年太平洋戦争勃発)。
その頃のスター、ベニーグッドマン、ハリージェームス、ライオネルハンプトン、トミードーシー兄弟などは、映画にも顔を出すので、ジャズファンでなくとも知られた存在である。

ミラーは、ビッグバンド時代の名門ベンポラック楽団、レッドニコルス楽団などで腕を磨き、37年に自身のバンド編成をする。
ちなみにレッドニコルスの{五つの銅貨}や{ベニーグッドマン物語}などは、日本で上映されている。

魔法の音色{ミラーサウンド}を編み出した39年頃から人気が上昇し、その辺りを描いた{グレンミラー物語}に登場したのがダッジ。劇中にはルイアームストロング自身も登場している。

39年頃というと、戦争の足音がヒタヒタと日本に迫り、新規自家用車の登録禁止、大学では軍事教練が、在日朝鮮人や支那人は姓を日本名にせよとの創氏改名強制という乱暴な法が施行されている。(当時韓国人や中国人という表現はなかった)

Gミラーの活躍は残念ながら44年で終わる。日本軍サイパン島玉砕、連合軍ノルマンディー上陸→6月に解放されたパリでの兵士慰問演奏にロンドンを飛び立ったミラーは、英仏海峡で行方不明になったのである。

ムーンライトセレナーデ、茶色の小瓶、インザムード、セントルイスブルースなどが、映画の影響で日本でも流行った。
グレンミラー行方不明後のパリ演奏に始まり、主亡きグレンミラーオーケストラは、戦後も活動を続け、日本演奏にもやってきた。
その専属歌手だったジョーン・シェパードが、日本公演が縁で千昌夫と結婚したことは周知の事実である。

 

車屋四六:1960年頃よりモーターマガジン誌で執筆開始。若年時代は試乗記、近頃は昔の車や飛行機など古道具屋的支離滅裂記事の作者。車、飛行機、その他諸々古い写真と資料多数あり。趣味はゴルフと時計。<資格>元JAFスポーツ資格審査委員・公認審判員計時一級・A級ライセンス・自家用操縦士・小型船舶一級・潜水士等。著書「進駐軍時代と車たち」「懐かしの車アルバム」等々。

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