かみなり鳥と呼ぶスポーツカー「フォード・サンダーバード」

コラム・特集 車屋四六

差別用語に厳しい米国のネイティブピープルとは、昔インディアンだった。私は昔の方に親しみを感じるが、その彼等の伝説で「雨を降らせる巨大な鳥」が居てそれを{かみなり鳥}と呼ぶ。
と云うと回りくどいが、英語ならサンダーバード、そんな名前の車がフォードから登場したのが1955年だった。

日本では昭和30年、未だ東京にも進駐軍がウロウロしていた頃、元祖三人娘、江利チエミ♪ウスクダラ・雪村いずみ♪オーマイパパ・美空ひばり♪船頭さん、人気の流行歌が日本中に流れていた。

事の始まりはパリオートサロンで、フォードの役員とデザイナーがジャガーXK-120を見て「こんな車が欲しい」と云ったのが切っ掛けでサンダーバード開発、直ぐに{Tバード}と愛称された。

進駐軍専用3AナンバーのTバードの後ろ姿/リアのスペアタイヤはオプション品/遠方中央ソフト帽子がオーナーの米軍将校。右隣はトライアンフ・メイフラワー/英。

Tバードは、米国では珍しい純スポーツカーだったが、実は二番手で先輩は1年前登場のGMシボレー・コルベット。同時期に2台も登場したのは市場ニーズだった。欧州に進駐した米軍兵士が、帰国時に持ち帰ったスポーツカーに人気が出て、輸入スポーツカー市場が生まれたからである。

全長4996×全幅1750㎜はアメ車としては小柄だが、欧州スポーツカーと並べれば大柄。SVからOHVに進化したフォード伝統のV8は4672ccで193馬力(AT用は180馬力)最高速度が180㎞と聞いて「さすがアメ車」と感心したものだった。

人気のTバードは、初年度1万6115台、翌年1万5611台、57年2万1380台と好調に売り上げて、四年後のモデルチェンジを迎えて、予想外の方向転換をした。

新型は二座席から四座席へ、と云うようにスポーツカーからスポーティーカーに変身したのである。
フォードの戦略としては小さなスポーツカー市場より、商業的に大きな普通車市場に乗り換えたのだ。スポーツカーファンには残念だったが、商業的には大当たり。ピークの77年には年間22万台を売上げて、フォードのドル箱的存在となったのである。

57年マイナーチェンジで流行のテイルフィンを改良、大きくなったラジェーターグリルでバンパー形状も変わる/撮影麻布一の橋。

が{栄枯盛衰は世の習い}ではないが、97年Tバードは生産を中止する。売れ行き不振とはいえ、7万6721台も売れていたのだが、米車不振時代の流れには逆らえず、リストラされてしまったのだ。

Tバードは42年間の幕を引いたが、リストラは伝統のマーキュリー、またクーガーやプローブにも及んだ。で、フォードのスポーティーカーはマスタングを残すのみとなった。

もっともリストラはフォードばかりではなく、GMやクライスラーもで、20世紀前半からWWⅡ以後を謳歌したアメ車の時代が、夕日が沈むように元気を失っていったのである。

さて、Tバード誕生の昭和30年の日本、芸能人の人気バロメーターでもある、ブロマイドの売れゆきランキングは①美空ひばり②若尾文子③千原しのぶ④岸恵子⑤高千穂ひづる⑥有馬稲子⑦北原三枝⑧南田洋子⑩雪村いずみだった。

 

車屋四六:1960年頃よりモーターマガジン誌で執筆開始。若年時代は試乗記、近頃は昔の車や飛行機など古道具屋的支 離滅裂記事の作者。車、飛行機、その他諸々古い写真と資料多数あり。趣味はゴルフと時計。<資格>元JAFスポーツ資格 審査委員・公認審判員計時一級・A級ライセンス・自家用操縦士・小型船舶一級・潜水士等。著書「進駐軍時代と車たち 」「懐かしの車アルバム」等々。

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