ホワイトハウス御用達時代のフォード

コラム・特集 車屋四六
大戦争で自動車屋が兵器産業に転向は常識で、フォードは1942年2月10日に最後の乗用車を送り出した。そしてジープや軍用貨物自動車、水陸両用車、装甲車などはお手の物だが、戦車から大砲、機関銃、そして航空発動機ばかりでなく何と爆撃機までも生産したのである。
世界を巻き込んだWWⅡは、45年4月ヒトラー自殺→5月に降伏で欧州は平和を取戻したが、日本は最後の悪あがきを続けていた。ラジオは鬼畜米英と喚きたて、新聞は本土決戦、映画では「勝利の日まで」と戦意高揚に努めていた。
自動車を造れなくなったフォードの戦中の戦意高揚広告:此処では{勝つための航空発動機}で中央の双発双尾翼コンソリデイテッドB24リベレイター爆撃機は機体共にフォードで大量生産。
マリアナ発のボーイングB29の初空襲が44年秋…年が明けて硫黄島が陥落すると、裸のB29編隊に戦闘機P51ムスタングの護衛が付くようになると、本土決戦用に戦力温存と空襲警報が鳴ると、日本の戦闘機が高速で北の方に逃げていくのが悔しく、戦艦大和の沈没もこの頃だった。
45年8月6日広島、9日に長崎に新型爆弾が落ちたら、15日に日本の戦争が終わった。報道の新型爆弾とは史上初の原子爆弾実戦投下だが、原爆という言葉を知らないのでピカドンと呼んだ。
終戦で兵器需要が消え、自動車屋は42年に倉庫入りしたプレス型で生産再開。フォードの戦後第一号車ラインオフは終戦から僅か3ヶ月後の10月…そんな国を相手の戦争、勝てるはずがなかった。
フォードの記念すべき一号車は、トルーマン大統領に贈られた。
V型八気筒・3.8L・100馬力・最上級のスーパーDXは、フォード二世の手でホワイトハウスに届けられた。
フォードを貰ったからではないがトルーマンはラッキーな大統領だった。ルーズベルト大統領死去で副大統領から昇格…直ぐにドイツ降伏、次いで日本降伏で、勝利という栄誉が転がり込んできたのだから。もっともルーズベルト健在なら原爆投下はなかったかもしれない…トルーマンも反対はしたが軍部に押し切られたと聞く。
ホワイトハウスとフォードの仲良しはこの頃からのようで、ケネディ大統領が狙撃された時もリンカーンだった。それ以前ルーズベルト大統領はパッカードV12だったし、アイゼンハワー大統領はキャデラックだった。
敗戦で軍部が解散すると自由主義が訪れ、戦後初の映画は松竹「そよ風」。加山雄三の父上原謙、関口宏の父佐野周二、並木路子主演。主題歌「リンゴの歌」は敗戦の暗い街を軽快な歌声で吹き飛ばし、歌った並木路子はスター街道の道を歩き始めた。
ホワイトハウスの庭でトルーマン大統領と談笑するフォード二世
車屋四六:1960年頃よりモーターマガジン誌で執筆開始。若年時代は試乗記、近頃は昔の車や飛行機など古道具屋的支 離滅裂記事の作者。車、飛行機、その他諸々古い写真と資料多数あり。趣味はゴルフと時計。<資格>元JAFスポーツ資格 審査委員・公認審判員計時一級・A級ライセンス・自家用操縦士・小型船舶一級・潜水士等。著書「進駐軍時代と車たち 」「懐かしの車アルバム」等々。
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