ホンダ・初代シティ試乗記【アーカイブ】

週刊Car&レジャー アーカイブ

軽自動車も含め、コンパクトカーは全高が高いトールワゴン(ハイトワゴン)が大人気。小さななボディサイズならではの扱いやすさと、広々としたゆとりのある空間を両立しているのがその理由だろう。その先駆けといえるのが、1981年に登場した初代シティだ。当時としては常識外れの背高スタイルで業界を驚かせたが、発売するや多くの若者が飛びつき大ヒット。その後のコンパクトカーのデザインに大きな影響を与えることとなり、その思想は現在のフィットにも受け継がれているといえる。そこで今回は、この初代シティの試乗記を見てみよう。

当時の紙面。見出しに「こちらは…」とあるのは、隣にマツダ・ルーチェの試乗記があったからで、それとの比較である

<週刊Car&レジャー 1981年(昭和56年)11月28日号掲載>
「ホンダ・シティ」試乗記

時代先取りの精神に溢れた「ホンダシティ」を試乗した。シティは二十歳代スタッフがノウハウのすべてを結集し、完成したもの。ホンダが放つ久々のニューコンセプトカーで、試乗車はシティR・E-AA5速マニュアル。

ドアを開ける前に、初めて触れるシティを見つめてみる。シティはトールボーイ。戦後生まれの体格のよいノッポの連中が発想したからではない。インテリアデザインを超えた、空間そのもののあり方を計算したスペースデザインだからだ。広さをシステムとしてとらえ、ドライに割り切ったスペース感覚がそうさせたのだろう。都市交通に最もふさわしい小さなサイズ(専有面積)を設定した上で、さらに広さを求めた帰結が、高さだったということだ。

・手になじむハンドル
ドアを開き乗り込んだシートは発泡PVCプリントレザー地のバケットタイプシートでホールド性がよく、やや固めのローバックシートが前後左右でしっかり体をサポートする。ハンドルはグリップが太く、手になじむ感じで、しかも直径370ミリと小さなスポーティハンドル。ドライビングポジションが高く、フロントノーズが短いこともあって、フロントウインドーからダイレクトに前方を見て、道路を見下ろすキャブオーバータイプと間違えてしまうほどだ。ボンネットは見えず、バックミラーが蝸牛の触覚のように二本突き出ているのが見える。

大磯から西湘バイパスへ入る前に、三点式シートベルトを着用し急ハンドリングを試みる。車高、ドライビングポジションの高さが気になったからだが、急回転、急コーナリング、急ブレーキ、急バックの無理も難なくこなし、アクセルワーク、ハンドリング、ブレーキングの反応も十分だ。

全長3380ミリ、全幅1570ミリのボディ一杯に取ったホイールベース(2220ミリ)、トレッド(前後とも1370ミリ)のワイド設計と、全車種に装備されているスチールラジアルタイヤを得て、路面への密着感、安定性を実現している。

ストラット方式前後サスペンションで、特にリアはフロアとA型ロアアームの間にスプリングを、タイヤ側にダンパーをそれぞれ別に分けてセットした、コイルスプリング分離式ストラット方式サスペンションを採用。しかもロアアームを長くすることで、十分なコンプライアンス機能を確保しながら、高い走行安定性と乗り心地をもたらしているこのコイルスプリング分離式ストラット方式サスペンションは、タイヤの動きに伴い、コイルスプリングのバネレートがフレキシブルな非線型に変化するもので、小から大のすべてのショックにあった強さで吸収、安定したフットワークとなっている。

ブレーキシステムは、前輪に耐フェード性の高いディスクブレーキ、後輪にブレーキサーボ(油圧真倍力装置)を採用したドラムブレーキで、スポーティ走行にも安心な装備だ。

全タイプにスチールラジアルタイヤが装着されているが、Rタイプには165/70SR12というワイドなタイヤを装着、運動性能の良さ、ダイナミックな走りを実現させている。

高速走行に入って、シティはその実力をいかんなく発揮した。

シティに搭載されたエンジンは、無鉛ガソリン車で世界初の圧縮比10・0を可能にしたCVCC-Ⅱコンバックス。CVCC-Ⅱをベースに新ファンネル型燃焼室で燃焼効率の向上を図った新エンジン。燃焼室のスロープをちょうどジョーゴのような形にしたもので、火炎が超スピードを持続しながら伝わるため、ノッキングを起こすことなく瞬時に燃やしきることができ、さらにこの燃焼原理を理想的に実現するために、ロングストロークエンジンとし、圧縮比10・0を可能にしたものだ。踏み込むと5000~6000回転/秒が無理なく出て、手応えは十分。スタートして80km/hまでシフトを変えたが、足回りとともにギアチェンジがスムーズで小型・軽量と侮れないエンジンであることは確かだ。西湘バイパスに入って100km/hをマーク、ウインドーを閉め切れば、騒音もなく振動も感じられない。変なノイズも発生せず、安定した走行が味わえた。

エアロダイナミックスをトータルに想定、実用空力を高め、風切音を軽減した独特なフラッシュサーフェスボディのスタイルとともに、コンバックスエンジンはRタイプ(5速マニュアル)で18.0km/Lの10モード燃費(運輸省審査値)、26.5km/Lの60km/h定地走行値(運輸省届出値)と軽自動車に迫った数値をあげており、国産小型車1位の低燃費を実現している。

大きなガラス面積と曲面ガラスの採用によって、視界が広く、高いドライビングポジションから前後、左右の見通しも良く、ラッシュでのアクティブなドライバビリティが発揮できそうだ。

運転中、つねにチェックしたいメーター類はシンプルなグラフィカルデザイン。また夜間は透過光で表示され、クリアーにデータを浮かび上げる。Rタイプにはタコメーターが装備され、むろんエンジン油圧、ブレーキ液、排気温度をチェックする各種警告灯が全タイプに装備されている。

・広々としたインパネ
必要な部分をソフトパッドで被い、しかも見た目にも圧迫感のない広々としたインストルメントパネルで、計算されたボディデザインと大きくカーブしたフロントウインドーにより、インストルメントパネル上部は広いスペースを確保してあり、便利なデスクタイプとなっている。

操縦席にはフットレストがあり、タイトコーナーやラフロードでの走行に心強い装備だ。

もう一つ、シティのインテリアの特徴は16個のポケット群。必要なものを必要なときに取り出せるよう工夫したもので、インストルメントパネル上部のポケットはクーラーのオプション装備でクーラーボックスに早変わりし、コーラの250cc缶が四本収納できる。

クーラーもそうだが、この他のインテリア装備は全く見当たらない。乗る人の意のままに、個性と自己主張で工夫、利用してほしいという発想だろう。

オーディオシステム、クーラーシステム、そしてシティ用コンポーネント・バイク「モトコンポ」まで多種多様なオプションが用意されている。画一を嫌う行動派の若者にターゲットをおいているというものの、オプションの割高感は否めない感じがする。

車輛総重量665kg(Rタイプ5速マニュアル)と軽乗用車を下回るシティだが、走行性能はやはり1200ccの実力を発揮させている。ボディの大きさ、総排気量の枠でシティがつくられたのではなく、今日のシティ感覚に訴え、シティライフのベースになるライブ・ビークルを想定したからだ。いかにコンパクトに、いかにパワフルに、いかにユーティリティに、いかにアイデアフルにというヤングハートのニーズに応えたクルマといえるだろう。

当時の広告。ムカデダンスのCMも強烈なインパクトで話題となった

<解説>
1.2Lエンジンを搭載した初代シビックは大ヒットしたが、79年に登場した2代目シビックはボディが大型化され、エンジンも1.5Lが主力になるなど、車格が1クラス上になった。これで生じたすき間を埋めるように開発されたのが初代シティである。当時のホンダは軽自動車から撤退していたため、エントリーモデルの存在が必要だったのである。

ターゲットとしたのは若者で、ホンダとしては新規ユーザーの取り込みも狙っていた。

開発に当たってはシビックをそのままスケールダウンするのではなく、まったく新しいコンセプトを導入。既成の概念にとらわれず居住性や燃費、動力性能などを最大限に追求した結果、当時としては異例な背高ボディの採用となった。

結果として常識外れのスタイルとなった初代シティだが、しかし、これがかえって新鮮なイメージを与え、発売直後から大ヒット。当初月販目標は8000台であったが、これを大きく上回り好調に推移した。発売から約半年後の記事では、下取り車のない新規ユーザーが6~7割を占め、ディーラー側でも驚いているとあり、ホンダの狙いが見事に的中したといえるだろう。一方でシティに食われる形でシビックの販売は低調で、ディーラーを悩ませている、とある。

さて好調スタートとなった初代シティだが、その後ターボモデルやカブリオレなども追加しながら86年まで販売が続けられた。が、その後を継いだ2代目シティはコンセプトを真逆に変え、ロー&ワイドの背が低いスタイルを採用。初代の魅力であった広い室内空間が失われた結果、人気は一気に低迷し、シティの車名はわずか2代で国内市場から消えることとなった。

ホンダは、シティに代わる実質的な後継車として「ロゴ」を登場させるが、凡庸なスタイルが嫌われて2代目シティ以上の失敗に…。というわけでホンダのコンパクトカーは初代シティ以降、迷走状態が長らく続くこととなった。しかし、この「ロゴ」の後継車として登場した初代「フィット」で一気に失地回復。その後の快進撃へとつながるのである。

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