貧乏が生んだメカミニマム&マンマキシマム

コラム・特集 車屋四六

スエズ動乱による燃料高騰で陽の目を見たオースチンミニとモーリスミニマイナーは、快調に飛ばしているうちに、何時しか単純に{ミニ}と呼ばれるようになった。

そして、多くの派生車種が誕生する…ミニクーパー、イタリア製インノチェントミニ、ミニモーク、後部に荷室の3BOXのウーズレイホーネット、ライレイエルフなどである。

マニアはこの古いミニ一族をクラシックミニと呼び、会社の変遷に合わせて、BMCミニ、BLミニ、ローバーミニと区別するようだ。

90年頃のローバーミニ時代は、日本では人気のドイツ車に唯一対抗した英車で、輸入車ランキングで常に五位以内、また英車ではダントツ一位を誇っていたものである。

英国は日本同様左側通行だから、基本ミニは右ハンドルで輸出仕様もそのままだったが、一時期左ハンドルだったことがある。日本の排ガス規制の50年・53年規制対応のため、日本の規制に近いカリフォルニア仕様車を輸入したからだった。

さてイシゴニスの青少年時代は満足な教育も受けられないほど貧乏だったという。が、それがミニ発想の原点なのだが、開発目標は省燃費車ではなく、貧乏人でも買える廉価車だったという。
で、あらゆる無駄を省いた小さな車に最大限の居住空間を得ると云うのが、イシゴニス理想の車造りだったのである。

ひところ日本の技術者達が「メカミニマム・マンマキシマム」を連呼したが、そんな文句が流行る30年も前に実行していたのだが、一度は没になったのに石油ショックで陽がさすのだから、ミニは生まれつき強運の持ち主ということになる。

車を必要最小限に小型化するためには独創的技術を駆使した。前輪駆動=FWDは既に先輩がいるが、その先輩が苦労した前輪駆動用ジョイントの改良版ツェッパ型等速ジョイントがバーフィールド社で完成したのは、ミニの運の強さだろう。

そのFWDの先輩達は二気筒エンジンが多いが、四気筒横置きは世界初だったと思う。彼はエンジン下部のオイルパンに変速機を同居させて潤滑油共用のコンパクトエンジンを開発したのである。

 

車屋四六:1960年頃よりモーターマガジン誌で執筆開始。若年時代は試乗記、近頃は昔の車や飛行機など古道具屋的支離滅裂記事の作者。車、飛行機、その他諸々古い写真と資料多数あり。趣味はゴルフと時計。<資格>元JAFスポーツ資格審査委員・公認審判員計時一級・A級ライセンス・自家用操縦士・小型船舶一級・潜水士等。著書「進駐軍時代と車たち」「懐かしの車アルバム」等々。

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