なりは小さくとも偉大なミニ

コラム・特集 車屋四六

今やミニと云えばBMWでプレミアムカーを自称する。が、本来ミニは格安大衆車で、開発者は英王室からサーの称号まで頂戴した、サー・アレック・イシゴニス博士である。

イシゴニスは、WWⅡ前にモーリス社に入社、コイルスプリングとウイッシュボーンを組み合わせた画期的サス開発で名を知られる。

サー・アレック・イシゴニス博士

そもそもモ社は自転車屋だったが、1913年に自動車屋に転向し、19年に放った大衆車カウリーでヒットを飛ばす。そのカウリーベースで生まれたスポーツカー、MG社誕生が24年である。

そんな会社でイシゴニスはマイナーを開発、48年発売、150万台を売る傑作大衆車となる。

WWⅡ前のモ社は、安いが高級高品質と評価されていたが、やがてライレイ、ウーズレイ、MGを吸収合併して、30年代後半からナッフィールド社を名乗るようになる。

その後ナ社は、ライバルオースチンと合併してBMCと改名、其処で世紀の傑作ミニが誕生するのだが、開発者はイシゴニスだった。が、ミニはモ社時代に既に完成していたのだが、オースチン系のBMCトップのサー・レオナルド卿は、ミニを評価せずにお蔵入り。

が、ミニは甦る…58年のスエズ動乱による不安定な中近東情勢で石油が高騰したせいで、WWⅡ復興期に流行った粗末なバブルカー/軽自動車が庶民の人気を取り戻した。

で、レオナルド卿が、廉価小型大衆車が必要と思った時に、お蔵入りさせたミニを想い出し、ゴーサインが出たのである。

ミニの開発記号はADO15=オースチン・ドローイング・オフィス企画だが、本来はナッフィールド企画とすべきだろう。いずれにしても陽の目を見ることになったミニは、59年発売時には、オースチンセブン、モーリスミニマイナーと二通りの名で売り出された。

セブンもマイナーも合併前の二社の大ヒット作だから、それにあやかろう魂胆だったろう。なりは小さくとも一人前、粗末なバブルカーとは違うことで好評を得て船出した。

全長3055㎜、全幅1400㎜、日本の軽より少し巾広・少し短かなサイズながら大人四人が乗れて、姿はハッチバックでも独立した荷室を持ち、確かに一人前の小型車だった。

日本企画の軽自動車より少し短く少し巾広ながら大人四人と独立した荷室を持つミニ。

 

車屋四六:1960年頃よりモーターマガジン誌で執筆開始。若年時代は試乗記、近頃は昔の車や飛行機など古道具屋的支離滅裂記事の作者。車、飛行機、その他諸々古い写真と資料多数あり。趣味はゴルフと時計。<資格>元JAFスポーツ資格審査委員・公認審判員計時一級・A級ライセンス・自家用操縦士・小型船舶一級・潜水士等。著書「進駐軍時代と車たち」「懐かしの車アルバム」等々。

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