「トライアンフ・メイフラワー」気品あふれるレザーエッジを大衆車に

コラム・特集 車屋四六

1956年に大学を卒業した頃、若者はロックンロールに夢中で、NHKカラーTV実験放送開始、自動車運転二種免許が新設された。

私の大型免許も二種になったが、現在は普通免許。2008年の更新時に、白内障の視力低下で格下げに甘んじたのである。

卒業前オヤジに「生涯宮仕えよし独立するなら三年会社に勤めてから決めなさい」と云い渡された。生来行き当たりばったりの私は「何とかなるさ」と就活も不熱心だったが、佐藤豪工学部教授の紹介で、丸の内の共栄開発に就職が決定した。

本採用前の身体検査医師は丸山宏社長の弟。検診中「君は自動車に詳しいと弟が云っていたが・実は最近買った車の調子が悪いので見て欲しい」…正式入社1週間後、社長に云われ医院に出張した。

車庫には、美しい姿が評判のトライアンフ・メイフラワーが…なら良かったが、黒色が日焼けで灰色に変色、如何にもガタボロ、エンストはするしスピードも出ないというのが先生の泣き言。

進駐軍兵士が乱暴に乗り回し車に100万円程もふんだくられたようだが、当時はボロ車でもあれば幸せ、裕福な医者だからこそ持てた高価な自家用車だったのである(私の初任給9700円だった)。

持参のハンドツールで先ずキャブレターを分解、当時の粗悪ガソリンで付着のガム状塵をブラシで取り、針でノズルを掃除・ディストリビューター接点を油砥石で磨き、スパークプラグのカーボンを落としギャップ調整、高圧コイルやコードを清掃、約2時間ほどでエンジンは機嫌を取り戻した。

喜んだ医師御夫妻が御馳走の昼ご飯は上等な鮨だった。社長公認だからと、有楽町スバル座で映画見て帰社したら「兄貴喜んでいた有り難う」と社長に褒められが、これが就職後の初サボりだった。

さてメイフラワーの生産期間は1948~53年。斬新メカの持ち主ではなかったが、ライバルのオースチンやヒルマンより美しさでは抜群の小型大衆車だった。

その美しさを際立たせたのは、英国高級車定番の角を立てたスタイリングで、それをナイフエッジと呼ぶと教えてくれたのは、親しい進駐軍のアメリカ人だったが、別の日にレザーエッジと訂正したのは英国兵だった。

名前は異なるが、いずれも剃刀のこと。安全剃刀・電気剃刀りが登場前の剃刀、そう今では年季が入った床屋の職人が使う、二つ折りの剃刀のことである。

トライアンフには、メイフラワーの上にリナウンという中級車があり、これもレザーエッジだった。こいつは2ℓフォードアサルーンだから見栄えも良く、30年代のコーチワークを連想させる姿だった。

ホイールベースが長いので高級車のミニチュア然とした姿のリナウン

トライアンフ社の創業は23年だから業界では老舗ではなく、トライアンフ・サイクルカンパニーと呼んだように、コベントリー生まれの二輪メーカーで、トラインアンフ・モーターカンパニーになるのは30年からである。

ちなみに当時の輸入元は、赤坂溜池三〇番地{ニュー東京モーター}で、メイフラワー・リナウン・スポーツカーのトライアンフにスタンダード社のバンガードや大衆車のエイトを扱っていた。

コーチワークの本物レザーエッジ仕上げの高級車ロールスロイス

 

車屋四六:1960年頃よりモーターマガジン誌で執筆開始。若年時代は試乗記、近頃は昔の車や飛行機など古道具屋的支離滅裂記事の作者。車、飛行機、その他諸々古い写真と資料多数あり。趣味はゴルフと時計。<資格>元JAFスポーツ資格審査委員・公認審判員計時一級・A級ライセンス・自家用操縦士・小型船舶一級・潜水士等。著書「進駐軍時代と車たち」「懐かしの車アルバム」等々。

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