クライスラーとジープ

コラム・特集 車屋四六

2008年リーマンショック世界恐慌の発火点が米国だけに、手当が早かったフォードを除き、GMクライスラー共に瀕死の重傷を負った。が、米国屈指の大企業だから政府が助けるという他力本願の体質がそうさせたと指摘する専門かもいた。

それまでも何度かの危機はそれで乗り越えた。70年代クライスラー社の危機は政府の資金援助、80年代は日本車対米輸出自主規制で援護射撃。90年前後には為替の円高誘導で、結果的にビッグスリーを助けた。

1992年ブッシュ大統領来日で、三社の首脳を帯同したのは大統領直々のセールス活動だった。当時、日本の総理がトヨタ日産や経団連重鎮帯同訪問したら、米国はどう反応しただろうか。

この時クライスラー社は、チャンスは逃すなと、20台のジープチェロキーを提供してアメ車の話題を盛りあげた。当時ジープはクライスラー社の目玉商品…79年~87年間のルノー資本参加を解消し、AMCと合併で取得したジープはライバルなしの将来性豊かなブランドだったのだ。

ちなみに、クライスラー社創業は1925年で、30年頃にダッジとデソート買収で基礎を固めた。一方54年ハドソンとナッシュ合併。また53年ウイリスとカイザーフレイザー合併、その二社が再度合併して63年にAMCが誕生した。

さてジープはウイリス社の登録商標で、WWⅡで有名になった兵器である。兵器は消耗品ゆえ膨大な需要があり、フォードと分担生産で、終戦までに46万台が生産された。

陸軍の試作競作に勝ったのはアメリカンバンタム社のジープ:が会社規模の問題でウイリス社が引継ぎ開発完成した(裏で政治的工作があったとも聞いている)

が、戦争が終わってもライバルなしのジープは、民需開拓で生き残る。が、リーマンショックでクライスラー社は元気を失い、日本で云う民事再生まで落ち込むのだから、世の中あすは判らないものである。

で、GMと共に政府の手が差し伸べられたのだが、強力なリストラの要求、自動車労連の説得、債権者との話し合い、高賃金体質の改善などの要求を突きつけられた。

高賃金体質では、かつて蜜月時代のダイムラーがクライスラー社に「賃金高過ぎ」との値下げ要求に「ダイムラ―社が安すぎだからクライスラー社と同水準に」と回答したという。米国の経営者は困っても髙給料は確保するようだ。

もっとも、苦境の借金交渉のワシントンに、自家用ジェットで乗り付けるのだから、GMなどの経営陣が本当に危機感を持っていたのかは疑わしい。無神経ともいえる行為だと思う。

このリーマンショックでは、各社の伝統ブランドが消えていったが、ジープは元気に生き残った。これから何時まで生き残るのか楽しみなブランドでもある。

余談になるが、ジープのチェロキーは米国インディアンの部族名で、人種人権差別には厳しい米国でよくぞ使えると不思議だが、GMのポンティアックは酋長名だし、野球にもインディアンが健在だが、米国人は気にしないのだろうか。

一方ことなかれ意識旺盛な日本では、自主規制でカルピスの黒人を廃止したが、知り合いの黒人は「俺たちは気にしない可愛いじゃないか」と云っていたから止める必要はなかったと思うのだが。

ジープラングラー:21世紀なってもこんな姿で元気一杯

 

 

 

車屋四六:1960年頃よりモーターマガジン誌で執筆開始。若年時代は試乗記、近頃は昔の車や飛行機など古道具屋的支離滅裂記事の作者。車、飛行機、その他諸々古い写真と資料多数あり。趣味はゴルフと時計。<資格>元JAFスポーツ資格審査委員・公認審判員計時一級・A級ライセンス・自家用操縦士・小型船舶一級・潜水士等。著書「進駐軍時代と車たち」「懐かしの車アルバム」等々。

おすすめ記事

Tagged