世界初2ローターREコスモスポーツ

コラム・特集 車屋四六

車に限らず多くの分野にフラグシップモデルがある。ウチの看板はコレというやつだ。ひと頃のマツダは、コスモスポーツだった。

この車の最大の売りは搭載エンジン…世界で初めて実用化大量生産に成功した、2ローター・ロータリーエンジンである。
もっともロータリーエンジン/REは日本独特な呼称で、欧米ではバンケルエンジンと呼ぶ。回転=ロータリーにこだわるなら、ロータリーピストン・エンジンである。

REの歴史は古く、第一次世界大戦前半は敵味方共にREが大活躍したが飛行機用で、クランクシャフトを機体に固定、空冷星形がプロペラと一体で回転する仕掛けになっていた。

プロペラと空冷星形発動機が一体で廻る1910年代のモラーヌソルニエ競争機/ルローン七気筒RE・80馬力は名機で、機体も発動機も各国で生産されドイツではフォッカー戦闘機として英仏軍機を悩ませた

20世紀大発展した内燃機関は、ピストンの往復運動をクランクシャフトが回転運動に変える仕組みだったが、どうせなら初めから回転運動の方が合理的という発想が、かなり昔から存在した。

多種多彩な形式が考案され特許も申請されたが、ほとんどがアイディアだけで実現せず、そのひとつにREもあった。それを蒸し返したのがドイツ人フェリックス・バンケル博士。NSUの援助で遂に世界に完成を宣言したのが1959年のことだった。

こいつが有望な次世代エンジンと評されて、特許取得に世界から集まった会社が百数十社、日本だけでも34社だったという。幸いなことに、マツダがバンケル&NSUとの間で契約に成功したのが61年だった。

それからのマツダの開発努力はたいしたもので、後に社長になる山本健一の陣頭指揮の下、社運をかけたと云っても良いほどに力を注いで、艱難辛苦を乗り越えたのである。

もちろん、REをライセンス契約した会社は世界中に多々あるが、続々と開発に失敗して戦列から去っていった。が、マツダは次々と発生するトラブルを解決しながら、遂に実用化に漕ぎつけた。

63年、第10回全日本自動車ショーにエンジンが披露されて専門家の注目を浴び、翌年第11回のショーで、遂にコスモスポーツが姿を現して、満場の注目を浴びたのである。

となれば、次の話題は「いつ発売」だが、第12回、第13回と展示されるだけで、いっこうに発売されず首を長くして待つのみだった。が、その間にREは、1ローターから2ローターへと進化し「待てば海路の日和」とやら、遂に発売されたのが67年だった。

その出力は110馬力で、最高速度が当時のレベルでは驚きの180㎞、世界初の2ローター・コスモスポーツは面目躍如だった。68年には早くも128馬力で時速200㎞を宣言した。

初期のレースで活躍した、著名漫画家の佃公彦が早速買ったので、何度か借りる機会があったが、同時代の世界のスポーツカーのなかでも、トップレベルのスポーツカーだったと思った。

が、今にして思えば、乗り心地の悪さは当時の世界的傾向だとしても、毎朝の最初の一発、始動時の目覚めの悪さには閉口した。

日本車では最初で最後、ルマン24時間レースで優勝したマツダの4ローター・レーシングカーの勇姿

 

車屋四六:1960年頃よりモーターマガジン誌で執筆開始。若年時代は試乗記、近頃は昔の車や飛行機など古道具屋的支離滅裂記事の作者。車、飛行機、その他諸々古い写真と資料多数あり。趣味はゴルフと時計。<資格>元JAFスポーツ資格審査委員・公認審判員計時一級・A級ライセンス・自家用操縦士・小型船舶一級・潜水士等。著書「進駐軍時代と車たち」「懐かしの車アルバム」等々。

おすすめ記事

Tagged