ダイハツ・コンパーノ・スパイダー

コラム・特集 車屋四六

ダイハツは、日産トヨタより老舗だが、創業時は発動機専門メーカーらしく会社名を{発動機製造}。社名由来は、BMW=バイエルン発動機会社と同類ということになる。

自動車の製造はWWⅡ以前で、自前の発動機で日本初のオート三輪を開発発売したが、四輪メーカーとしての出発は1961年である。

61年=昭和36年の第八回全日本自動車ショーに、700ccのショーモデルを出品し、翌年の第九回のショーに姿を現したバンは、当時の日本のレベルを越えたデザインで注目を集めた。

そのデザインは、やはり日本ではなくオリジナルは、イタリアのカロッツェリア・ビニヤーレの作品だった。そのバンは、やがてセダンになりコンパーノ・ベルリーナと可愛い名で市販された。

バンからセダンへの変身では、当然リアからトランクにかけて新デザインが必要になるが、前半部とバランスした美しいデザインに感心したら、それがダイハツのデザインと聞いて更に感心した。

ベルリーナ発売の63年とは、銀行の自動車ローンが始まり、第一回日本グランプリが鈴鹿で開催され、日本のモータリゼーションが、ヨチヨチ歩きから一人歩きを始めた頃だった。

高価貴重だったTVもお茶の間に普及し、TVのアイドル力道山がヤクザに刺殺され、日本初日米間衛星中継第一報で、実況中継されたのがショッキングなケネディ大統領暗殺だった。

コンパーノ・ベルリーナは直四790cc・41馬力で49万円だった。
同年登場の新車を拾うと、ホンダS500、ブルーバード410、ベレット1500、プリンスグロリア、スカイライン1500など、日本の車造りが国際水準に達したのが判る頃である。

翌64年になると、全日本自動車ショーが東京モーターショーと改名され、早くもスペシャリティーカーが登場する…ベレット1600GT、トヨタS800、日野コンテッサ1300クーペ、コロナハードトップ、三菱コルト800、ファミリア1000などなど。

ダイハツも黙っちゃいない…コンパーノベルリーナ・スパイダーを発売する。鈴鹿で火が点いたモータースポーツ熱が日本中に広がりつつある時代らしく、スポーティーに仕上げられていた。

ショーモデルから発展し、バン→セダン→オープンカーへと進化登場したコンパーノベルリーナ・スパイダー

バケットシートの前席には未だ珍しい安全ベルト=シートベルトが付き、フロアシフト、アルミ三本スポークのウッドステアリンハンドル、どれもが時代最先端スポーティー装備だった。
勿論エンジンは958ccに拡大して65馬力に向上し、最高速度145粁も自慢、その値段は65万円だった。

もう敗戦の後遺症は何処へやら、日本経済は好調で庶民の夢の三種の神器は3C{カー・カラーTV・クーラー}とグレードアップ。
が、モータリゼーションとなれば、発展途上国丸だしで、運転マナーなど何処へやら「恐いものは・一姫・二虎・三ダンプ」=女の運転・酔っ払い運転・ダンプカーという流行語も生まれた。

参考迄に、これも伊カロッツェリア作品の日野コンテッサセダンから進化派生した1300クーペ:レースでも活躍した

 

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