「有山勝利 の視軸」ビートルお疲れさま、ミニ永遠に

コラム・特集

昨年生産打ち切りが発表された、フォルクスワーゲン(VW)・ビートル(現行モデルは3代目)が、メキシコ工場でその80年の歴史を閉じた。
タイプⅠと呼ばれた基本形は、わかりやすい3桁呼称で、1桁目が形状で1がセダンで、2がデリバリーバン、マイクロバス、3、4と進むにつれて少しずつ大型化した。

2桁目は型式で、1がセダン、5がコンバーチブル、7はサンルーフ、下一桁は1が左ハンドルのスタンダードモデル、2が右ハンドルのデラックスという具合だった。
私が最初に出会ったのが111型で、聖心女子大系の教会に寄贈されたもの。タイヤが5・20、ブレーキが未だディスクになっておらず、リヤウィンドウは2分割、フロントウィンドウは平面。1963年当時ブルーバードとの比較で、唯一部品価格が安いと喜んだものの、やがて部分的に改造が進んだ。

単一モデル累計生産台数で2100万台を超す大記録を立て、ひと頃は大洪水、地震などの海外ニュースでは必ずといってよいほどビートルが映り込んでいたものだ。
1962年に新潮社より刊行された「VW世界を制す(田口憲一著)」は、良き時代のVWを知るには最適と思い紹介しておく。

一方、英国の小型ファミリーカー「ミニ」は8月26日に生産累計台数が1000万台を超えた。
英国自動車産業の低迷もあり、現在ではBMWグループの一員となっているが、ミニは、アレクサンダー・アーノルド・コンスタンチン・イシゴニスと、レオナード・ロードの薫陶を受け、オースチン・ミニ、モーリス・ミニとして生まれ、やがてチューンアップに成功し、ジャック・ブラバムによってF1制覇につながった。

2014年刊行の「ミニの至福(御堀直嗣著、河出書房新社刊)」が詳しい。
以前、バンコクのレストラン店主の友人が、ぜひ見てくださいと裏庭に案内され、きれいにレストアされたミニを見せてくれた。よく見ると、テールレンズにビートルの部品がぴったりと収まっていた。

有山勝利プロフィール
1937年生まれ。1960年に総合輸入車ディーラーに入社、そのまま定年まで殆ど広報作業に従事、依頼により1966年より、ブリヂストン・タイヤニュース、週刊大衆に連載執筆、筆名に有川 浩を使用、月刊自家用車、報知新聞、日刊スポーツ、スポーツニッポン、ディリースポーツ、マイカー情報(札幌)、くるまにあ にも連載、単発は無数。媒体側と広報担当の双方と交友、互助の功を上げた。

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