マツダの軽三輪貨物K360

コラム・特集 車屋四六

この手の軽三輪では、ダイハツミゼットが有名だが、ムサシ、ホープスター、三菱レオなど多種多彩で、WWⅡ以前からの三輪では名門のマツダにも、K360(トップ写真)があった。

創業時に東洋コルクを名乗ったように、マツダの源流はコルク製造。やがて削岩機を造るようになり、東洋工業と改名したが、昭和5年1931年、純国産三輪貨物自動車を開発販売する。

社名のマツダ改名は84年だが、31年発売のオート三輪にMAZDAの文字があるので、マツダは長い間親しんだブランド名なのだ。
人気のオート三輪は、WWⅡ末期、物資不足で一時製造を中止するが、戦後に息を吹き返す。敗戦貧乏の日本の国情には、打って付けといえる流通の運搬道具だったのである。

戦後復活したオート三輪も時代と共に淘汰が進み、57年時点で生き残りは、マツダ、ダイハツ、三菱、くろがね、愛知ジャイアント、三井オリエントで、この年、世界初ソ連の人工衛星スプートニクが飛び、プリンス自動車から初代スカイラインが登場した。

戦後の流通で一世風靡のオート三輪は、次第に大型化して二屯積みなども登場するほどになり、その狭間を埋めるために、ムサシ/三鷹富士、ホープスター/ホープ自動車など軽三輪貨物が登場する。

軽三輪が売れと判ると、オート三輪大手のマツダもK360を開発投入し、人気のダイハツミゼットと熾烈な戦いを始めたのが52年で、皇太子殿下御成婚、そしてブルーバードが誕生する。

62年当時の値段は、K360=23万円、ミゼット22.8万円、ホープスター24.8万円だが、その後オート三輪市場でも淘汰が進み、マツダのライバルはダイハツと三菱だけになっていた。

三世代のダイハツ・ミゼット/日本自動車博物館蔵

一方、軽三輪は小回りが効き、安価で低維持費が受けて人気者。更に自転車やバイク、またリヤカーで配達運搬をしていた人達も取り込んで、人気は根強いものになっていた。

K360は、全長1975x全幅1280㎜・WB1430㎜・車重485kg・最大積載量300kガソリン・ファン空冷二気筒4サイクル350cc・11馬力・最高速度65㎞である。

日本の流通機構で一時代を築いたオート三輪だが、トヨエースの登場で幕が引かれ、市場から消えていった。で、マツダ初の四輪のD1500貨物車を開発投入したのが58年。

そして乗用車市場には、軽自動車R360クーペで初名乗りを挙げたのが60年だった。これでマツダは四輪自動車メーカーとしてのスタートを切ったのである。

 

車屋四六:1960年頃よりモーターマガジン誌で執筆開始。若年時代は試乗記、近頃は昔の車や飛行機など古道具屋的支離滅裂記事の作者。車、飛行機、その他諸々古い写真と資料多数あり。趣味はゴルフと時計。<資格>元JAFスポーツ資格審査委員・公認審判員計時一級・A級ライセンス・自家用操縦士・小型船舶一級・潜水士等。著書「進駐軍時代と車たち」「懐かしの車アルバム」等々。

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