シトロエン、黄色の巡洋艦隊シルクロードを行く

コラム・特集 車屋四六

タイプA・8CV(19→22年)で出発のシトロエンは、タイプB・29CV (21→25)タイプC・5CV(22→23)タイプC3・5CV(23→26)と順調に成長を続けた。(CV=課税馬力/仏)
見習ったフォードT型同様、同規格のシャシーは乗用・商用・トラックなど多種派生に簡単に対応出来た。

A・シトロエンは、ロレックスのH・ウイルスドルフ、ジャガーのW・ライオンズなどの経営者と共通した手腕の持ち主だった。優れた経営、斬新技術先取り、優れた宣伝手腕である。

タイプC発売時には二座席ロードスターのフェンダーを黄色塗色に…こいつはフランス語の黄色=シトロンとシトロエンとの語呂合わせで宣伝効果を狙ったものだった。

宣伝の極めつけは25年7月、25万個の電球でCITROENの文字がパリの空に輝いた。それがエッフェル塔だから目立つことこの上なし。世界初単独大西洋横断飛行成功のリンドバーグが、眠い目を擦りながら目的地パリを確認したのが、この電光だったのだ。

シトロエン特製・荒れ地用無限軌道車:前方ドラムは砂地での潜り込み防止用

32年になると宣伝効果か単なる探求心かは不明だが、シトロエンは快挙を成し遂げる。32年というと昭和7年…日本がロサンゼルスオリンピックで、水泳・走行跳・棒高跳・馬術で金メダル七個という快挙を遂げた年。

一方、托鉢中の僧侶が支那人に青竜刀で斬られたのが上海事変の切っ掛けだが、戦後に陸軍が東洋のマタハリこと川島芳子に命じたでっち上げと判明。また満州国建国など昭和7年は日本の支那侵略が本格化した頃でもあった。(当時は支那=現在中国)

さて、32年のシトロエンの快挙とは、9台のシトロエンがシルクロードを走破して北京にたどりついたこと。レバノンを出発して1万2000粁、道なき道を走破したのは、特製無限起動車だった。

無限軌道=キャタピラーはWWⅠで登場した英軍タンクで実用化されたが、発明はロシアのニコライ皇帝のお抱え技師ケグレスで、雪中走行目的で開発、後年シトロエンの役員に就任したのは、軍用車開発が目的だったようだ。

シトロエン特製・荒れ地用無限軌道車:前方ドラムは砂地での潜り込み防止用

その頃フランス政府は植民地政策でサハラ砂漠横断可能車の募集中で、シトロエンは駆動輪を無限軌道に換えたトラックを完成し、アフリカ大陸を北から縦に横断、喜望峰までの踏破に成功した。

そして次のチャレンジがシルクロードだったのである。が、山あり谷あり、道なき所は道を作り、川を担いで渡り、時には分解して担ぎ、シトロエン14台の難事業は完成したのである。

その現物がパリのシトロエン収蔵庫にあった。シトロエン好みのイエロー塗色で{黄色巡洋艦隊}と呼ばれた車の前方ドラムは、前輪が砂にもぶり込むのを防ぐためだそうだ。

レストアされて綺麗だが、北京到着時は見るも無惨ボロボロだったそうだ。実は北京到着後ベトナム=当時は仏領インドシナを目指す計画だったが、過労による隊長の死去、不安な通過国の政治問題も絡み、Aシトロエンは中止命じたのである。

 

車屋四六:1960年頃よりモーターマガジン誌で執筆開始。若年時代は試乗記、近頃は昔の車や飛行機など古道具屋的支離滅裂記事の作者。車、飛行機、その他諸々古い写真と資料多数あり。趣味はゴルフと時計。<資格>元JAFスポーツ資格審査委員・公認審判員計時一級・A級ライセンス・自家用操縦士・小型船舶一級・潜水士等。著書「進駐軍時代と車たち」「懐かしの車アルバム」等々。

写真
1.順調に八手を続けたシトロエンのFR車。
2.シトロエン特製・荒れ地用無限軌道車:前方ドラムは砂地での潜り込み防止用。
3.リンドバーグも見た、25万個の電球でパリの夜空に輝いたエッフェル塔のCITROENの電飾+傘歯歯車も。

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