三菱自動車の世界戦略車ミラージュ

車屋四六 コラム・特集

2007年、我が家のインターネットが光回線になった。それまでのCATV/ケ-ブルTV便乗のADSLの伝送速度10万が一挙に100万になった。それが実用上どうなのかは無知な私には判らなかったが「ウチのは早い」と思うと、気分的に嬉しくなった。
出版社に送る写真が早くなったような気がしたし、一度に送れる枚数が増えたから、100万さまさまという気がした。

日本で光ファイバー電送に成功したのは、王貞治の800号ホームランが記録された昭和53年/1978年だが、当時、まさか我が家に光回線が来てネット接続など、自家用電脳時代が来るとは夢にも思わなかった。

そんな79年に三菱が世界戦略車と銘打って発表したのがミラージュ「日本の2BOX元祖はシビックだが既に先進欧州では主流なので三菱は将来を見越して開発を決定した」とは持田副社長の言。

「国際的視野でホイールベースはゴルフ並で全長はファミリアより短い6㎡(ヘーベ)カーになり、シビックやシャレード、スターレットより大柄になったが、6㎡カーは国際的標準になるだろう」が来住南(きすな)開発主管の言。

それまでの三菱の販売店は120社/700店舗だったが、新規に100社/200店舗を新設、カープラザ店と名付けて、新進気鋭のミラージュを投入したのである。

ミラージュ・フォードアハッチバック:管制塔が一つ時代の羽田空港駐車場でBピラーの上空に四発ジェット機が

登場6ヶ月後にフォードアを投入するが、誕生時はツードア・ハッチバックのみで1200と1400…1200EL/77.8万円、1400GLS/103.3万円で、53年排ガス規制対応のMCA-JETオリオンG-18型1244cc・72馬力と新開発オリオンG-12B型1410cc・82馬力。全長3700x全幅1585x全高1350㎜・WB2500㎜・車重795kg。

当時欧州での対抗馬フォード・フィエスタの5.64㎡/1ℓに対し、ミラージュは1.2~1.4ℓで国際的には上位狙いだったが、ゴルフやフィエスタにある1.6が欠けていたが、79年1600GTを追加した。

フェンダーミラー以外に突起物がなく、ッペリした姿は当時の流れからは外れ、違和感を覚えた反面、室内の呆れるほどの広さに感嘆。国際市場狙いゆえ、操安性は高いレベルに達していた。

走ればスポーティーで、試乗中の計測で、ゼロ100㎞加速は、エコ/11.80秒、パワー/10.56秒だった。このエコとパワーとは、画期的スーパーシフトと名付けられた両刀使いの仕掛けにあった。

常識的な4速シフトレバー脇に短い副変速レバーがあり、これで日本好みのローギアード1.526と欧州好みのハイギアード1.181を切替れば、その差は22.3%になる。
切替は走行中も可能で、やる気になれば前進八速型になるのだ。ちなみに実走燃費はエコ=19.3km/ℓで、パワー=15.1km/ℓだった。

当初、違和感有る見慣れぬ姿で、売れるのか?と疑問を持ったが、78年3万8450台、79年6万6585台、80年7万7074台、81年7万281台と、安定した販売量を維持して、新設カープラザ店の良き助っ人となった。

 

車屋四六:1960年頃よりモーターマガジン誌で執筆開始。若年時代は試乗記、近頃は昔の車や飛行機など古道具屋的支離滅裂記事の作者。車、飛行機、その他諸々古い写真と資料多数あり。趣味はゴルフと時計。<資格>元JAFスポーツ資格審査委員・公認審判員計時一級・A級ライセンス・自家用操縦士・小型船舶一級・潜水士等。著書「進駐軍時代と車たち」「懐かしの車アルバム」等々。

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