水晶に負けた電気腕時計の話

コラム・特集 車屋四六

1973年…スカイラインGT-Rが箱スカからケンメリに・水晶時計登場で音叉時計討ち死に・パチンコが手動から電動にと、興味あるいろんなことが起きた年だった。

太平洋戦争前、子供時代のパチンコは一個玉を弾くと入ればいろんな景品が貰えた。高校生時代には、一個はじき入ると出て来る玉は一個だったり二個だったり。やがて中央上部の大当たりで10個も、15個も出るようになる。
このように日進月歩したパチンコは、手動から電動になり、徐々に賭博色が増し、それが嫌で私は止めてしまった。

パチンコは電動化で大発展するが、消えてしまった物もある。今日は、車から離れて私が好きな時計でお茶を濁すことをお許しいただきたい。端的云えば、水晶に負けた電気腕時計の話しである。

時計は、日時計や水時計に始まり、やがてゼンマイの登場で個人の使用に耐える実用品になり、小型化されて懐中時計になる…こいつはゼンマイを鍵で捲くが、その鍵を紛失するので困り、やがて登場する竜頭で紛失困惑から解放されるのである。

が、人間は生来欲張りで、次は捲かないで済まそうということで登場するのが自動巻だが、未だ満足せず、次は捲かずに動き続ける時計という欲望が目覚めるのである。

で、1957年、米国ハミルトン社から電池仕込みの腕時計が発売され、大いに将来が期待されたが、ライバルに行く手を阻まれた。
にっくきライバルとは米国ブロバ社のアキュトロン。その心臓は音叉で、250Kzの振動で歯車を駆動する仕掛けだった。

写真は、私自慢のアキュトロン…普通じゃないよとアピールするために当時珍しいシースルーで、向かい合った二個のコイルの間が音叉振動素子、もちろんボタン型電池で動く仕掛けだ。

ブロバ・アキュトロン・アストロノート:耳に当てると聞こえる音叉の振動音が楽しい/見るも聞くも楽しい腕時計だ

1960年発売の音叉時計の商品名はアストロノート/宇宙で、もう時間合わせ不要とばかりに竜頭がない。で、この画期的時計との技術提携に世界の時計屋がブロバ社に集まった。

その顔ぶれは、インターナショナル、ロレックス、オメガなど一流ブランドで、契約に成功すると生産開始。日本はシチズンだったが、ナンバーワンのセイコーは音なしだった。

スイスの時計会社も警戒心を抱き始めたセイコーを、ブロバがボイコットしたと話す専門家もいたが、知人のセイコートップ技術者からの話で、音叉振動を回転に換える精密な歯車の製造に自信がなかったからという理由を、最近知った。

そのセイコーが、やがてアキュトロンの命取りになろうとはブロバ社も思わなかったろう。その頃セイコーは新メカの開発に精を出していたのである。

そして誕生したのが、音叉より更に正確な水晶発振クオーツ、発売は73年だった。クオーツが人気者になり天下を取るのは皆さん御承知の通り。アキュトロンの連合軍はたちまち全滅した。

音叉も水晶も出始めは高嶺の花の高額商品だった。アキュトロンが25万円、セイコークオーツが14万円…時代は大卒初任給8万円の頃、珍し物好きの私も手が出なかった。
私のアストロノートは、問屋の倉庫に眠っていた新品を、後年入手したものである。

オークションで入手のオメガ・エレクトロニク:ブロバは250Hzだがオメガは300Hz/ゼンマイ型と音叉を識別するためΩマークが赤で囲まれている

 

 

車屋四六:1960年頃よりモーターマガジン誌で執筆開始。若年時代は試乗記、近頃は昔の車や飛行機など古道具屋的支離滅裂記事の作者。車、飛行機、その他諸々古い写真と資料多数あり。趣味はゴルフと時計。<資格>元JAFスポーツ資格審査委員・公認審判員計時一級・A級ライセンス・自家用操縦士・小型船舶一級・潜水士等。著書「進駐軍時代と車たち」「懐かしの車アルバム」等々。

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