ステーションワゴンの源流、プリンス・スカイライン1500バンDX

コラム・特集 車屋四六

スカイライン1500誕生は昭和38/1963年。鈴鹿で第一回日本GP開催、東京オリンピックに向けて首都髙工事が急ピッチで進められていた時だ。その首都髙の最初は芝浦~羽田間で50円だった。(写真右:首都髙の始まりは新橋土橋から京橋まで銀座デパート屋上の高架で無料だったが、羽田までが開通すると通行料50円。38年5月25日の切符には芝浦の印がある)

敗戦から18年が経ち、貧乏も昔話、街には自動車が増え流行語は{一姫・二虎・三ダンプ}=女の運転・酔っ払い・ダンプカー、危ない車だから要注意ということである。

通行券の裏側には、都内初めての有料道路らしく、親切きわまりない走行注意が記載されている。今回記事を書くため54年ぶりに取り出して初めて読んだ走行注意である

当時、我が国の高級車はクラウンやセドリックだったが、それに先行誕生したのが初代スカイラインで、DXとSTDがあり、二代目でDXがグロリアになり、STDはダウンサイジングしてスカイラインの名を継承した。

生みの親プリンス自動車は、旧中島飛行機らしく、技術面では日産トヨタを凌いだが、正直商売は下手だった。
で、ブリヂストン石橋正二郎のテコ入れ、たま自動車/旧立川飛行機との合併、最後が日産自動車との合併だった。

さて小型になった1500が、六気筒を搭載してモンスターに変身し、第二回日本GPで前年惨敗の無念を晴らした話は有名で、それが2000GT の源流になる話も知られすぎた話。

そんな1500には、姿・性能共に優れたバンがあった。日本でのバンは、商用車を連想で、陽の当たらない存在だが、こいつはステーションワゴンの源流と捉えても良いほどの出来映えだった。

全長4125×全幅1495㎜・ホイールベース2390㎜・車重1035kg・直四OHV1484cc・70馬力は当時としては高圧縮比・高回転エンジンで、3MTがシンクロメッシュというのも自慢だった。最高速はセダンが140km/h、バン135km/hで、当時の日本の水準では、俊足と評価すべき速さだった。

「スカイラインの姉妹車・フォードアで乗降荷の積み卸し便利・スマートな上方開きテールゲートはプッシュボタン式・乗用商用兼用で価格62万円」とキャッチコピーが強調するように、当時は何処もが斬新で自慢の部分だった。

乗り味は違和感なく乗用車フィールで、上等な内装、乗り心地、操安性はステーションワゴンじゃないかと思うほどの出来映えだった。発売されてから2年ほどすると、何時の間にかスカイライン・ワゴンと名乗っていた。

貨物自動車なのに斬新なプッシュボタン型ラジオやヒーターを装備、ホーンリング付のハンドルにハイカラなコラムシフト、インパネには時計・電流計・油圧計までが並び、時代を越えたスポーティームードの上等な乗用車だった。

 

 

車屋四六:1960年頃よりモーターマガジン誌で執筆開始。若年時代は試乗記、近頃は昔の車や飛行機など古道具屋的支離滅裂記事の作者。車、飛行機、その他諸々古い写真と資料多数あり。趣味はゴルフと時計。<資格>元JAFスポーツ資格審査委員・公認審判員計時一級・A級ライセンス・自家用操縦士・小型船舶一級・潜水士等。著書「進駐軍時代と車たち」「懐かしの車アルバム」等々。

 

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