【車屋四六】セドリックとグロリアの結婚

コラム・特集 車屋四六

かつてセドリックとグロリアは日産の屋台骨だった。
セドリック初代誕生は昭和35年/1960年、プリンス・グロリアは更に古く59年だが、プリンス自動車と日産の合併で、合理化のため同一シャシーを使うようになった。
そんな両ブランドが、79年のフルモデルチェンジで、セドリックは五代目に、グロリアは六代目になる。

79年と云えば、日本のパソコン元年。NECからPC8001/\16.8万円を発売、それがPC大衆化の第一歩となった。オッチョコチョイの筆者は早速購入したが、気が付いたら未だ市場にソフトがなく、まさに猫に小判になってしまった。
ちなみに当時PC本体にはメモリーがなく、外部接続のカセットが記憶媒体…純正は高価だったが「普通のカセットレコーダーで良いんだよ」と友人に云われてガッカリしたのを覚えている。

写真上のグロリア200E・SGL/218.1万円は、全長4690㎜、全幅1695㎜・車重1470kg・L20E直四OHC・1998cc・130馬力。
日産は排ガス対策のパワーダウン回復で、電子制御燃料噴射+ターボで解決をはかった頃だった。

撮影は調布空港。格納庫は帝国陸軍の置土産でボロボロ。強風になれば管制官が逃げ出し、空港近辺はノーコントロールだが、パイロットは勝手に飛べるので喜んだ。双発が邪魔で愛機ムーニー/JA3290が見えないのが残念だ。

グロリアと同じシャシーのセドリックとは、エンブレムとグリル以外は共通で、フォードアセダンとフォードアハードトップ/HTがあり、HTはBピラーがない米国流で、窓全開時の開放感が素晴らしく、停車中に吹き抜ける風がさわやかだった。
ちなみに宿敵トヨタのHTは細いBピラーが残り、閉めたらHTだが、開けると邪魔だが、転倒時の強度には有利だったろう。

79年/昭和54年頃の日本自動車企業は、排ガス対策に没頭していた。トヨタは電子制御燃料噴射+DOHCで燃焼効率向上を。日産はターボで馬力回復をはかったが、まだ日本製がなく米国エアリサーチ社のを採用したが、馬力向上は10馬力だった。

いずれにしても自動車のエンジンは、元気がなかったが、日本経済はバブルに向かい元気一杯だった。そんな59年に流行った流行語を思い出してみた…皆さん覚えているだろうか。

{関白宣言・ダサイ・ギャル・オジンとオバン・天中殺・えがわる・ウサギ小屋}。そしてジャパン・アズ・ナンバーワンは、21世紀の世界に対する日本の位置づけだったが、残念ながら21世紀になって実現できなかったことは、皆さん御承知の通りだ。

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