灰皿がなくなった?マツダ・ペルソナ【車屋四六】

コラム・特集 車屋四六

昭和64年1月7日、昭和天皇67才で崩御、昭和から平成に。天皇の重体発表は前年9月で、日産セフィーロの井上陽水の明るいTV-CM「お元気ですか~」の部分だけが口パクで音声が消えた。更に墓石屋のCMも消えたのは、TV局の自主規制だった。

そんな昭和63年/1988年、マツダの新ブランド{ペルソナ}登場(トップ写真)。当時日本はバブル絶頂期で、マツダは日本の一流を目指し、一気に販売5チャネル体制に。当然、車の方も新ブランドが必要になり、カペラをベースに仕上げたのがペルソナだった。

ペルソナのベースとされるカペラの上級車種

ペルソナとはラテン語で{人・個人}の意で、新型車要求の帳尻合わせではない。日本文化を盛り込んだ、独特な車造りへの挑戦だったと宣言した。

今でも変わらないが、マツダは欧米、特にヨーロッパでは昔から信頼度が高いから輸出比率が高く、特にカペラは人気があり、それを意識して開発されていた。

そんなカペラをベースに開発されたペルソナは市場ニーズを意識、販売店からのハードトップ要求も入れて開発。開発にはトヨタの人気車カリーナEDを参考にしたと正直に語ってくれた。

転倒時の安全が問題視されなかった時代、ピラーのない完全ハードトップは新鮮な姿造りには好適素材だったが、エアコン普及で開け放った窓から風が吹き抜ける爽快感は不要、美しい姿だけでは人気が取れない時代に入っていたことに気づくべきだった。

で、マツダはインテリアの斬新さを強調した。{美しさはインテリアから」とTVCMは強調し、カタログを開くと、最初の見開きがインテリア…「女性に乗ってほしい」と報道発表会で強調した。

「灰皿はありません」とも強調。それは日本初だったと思う。ペルソナは、内外共に美しいカーブに包み込まれた美しさが際立っていたが、低い車高の乗降が女性ドライバーをスポイルしたようだ。

ちなみに、88年選考の日本カーofザイヤーの一位は日産シルビア、二位MK-Ⅱ三兄弟、そして三位がペルソナだった。が、際立つ美しさも市場では魅力にならず、直ぐに市場から消え、今では思いだせる人も少なくなってしまった。
仮面舞踏会のマスクのようなエンブレム(写真下)はゴージャスな七宝焼きだったが、それも今では懐かしい想い出になってしまった。

ペルソナが誕生した88年は、大韓航空機爆破テロの犯人として蜂谷真由美逮捕が話題になった。が、蜂谷は日本人ではなく、金賢姫という北朝鮮の工作員ということが取り調べで判明…金に日本語を教えたのは日本人女性。これが今でも未解決として続く、日本人拉致事件の始まりとなった。

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