【車屋四六】 二輪の覇者ホンダが軽トラで四輪市場に殴り込み

コラム・特集 車屋四六

昭和一桁生まれの戦前とは、第二次世界大戦前のこと。
戦前、乗用車が普及した欧米には老舗たくさんだが、いまや世界有数の乗用車生産国になった日本には老舗がほとんど無い…本格的自動車生産開始が戦後なのだから仕方がないことだが。

何処の国も企業が出揃えば淘汰が進む…戦後100社を越えた日本の二輪メーカーは現在四社、二輪ほどではないが、四輪は淘汰集約が今でも進行中。さて、断トツ人口が多い中国の21世紀は大生産国になるだろうが、今星の数ほどもある会社は幾つになるのだろうか。

ホンダの創業は昭和23年/1948年…最初の試作車は湯たんぽの燃料タンクで有名な原動機付自転車。こいつは47年に発売されてベストセラーになる、カブ号の原型だった。

58年になると世界的ヒット商品になるスーパカブが登場する。「蕎屋の出前持ちが片手で運転できる」が本田宗一郎の開発コンセプトで{使いやすさ・頑丈・安価}と三拍子揃ったバイクは人気上昇、世界に輸出、現地生産と、未だに続くロングセラー…5000万台到達が2005年→2014年8700万台。2017年には世界生産累計台数1億台を到達も達成した。

話しは戻って、1954年、浜松のバイク屋の社長がとんでもない宣言をした「二輪世界GPとマン島TTレースに優勝して見せる」と。

それから雌伏7年、61年にTTレースを制覇し、世界二輪GPの世界チャンピオン輝いた。

が、本田社長のビックリ宣言は未だ続く…「F1に勝つ」。
二輪王者の高性能エンジン技術はF1にも通用して、意外に早い65年、名手リッチー・ギンサーが駆る、V12気筒1.5ℓ搭載RA212型がメキシコGPのメインポールに日章旗を翻した。

二輪GP、F1優勝の知名度を背景に、ホンダの次ぎなる目標は、四輪市場への進出…62年開催の第9回全日本自動車ショーで話題をさらったのが、二座席スポーツカーS360とピックアップトラックT360、どちらも360cc搭載の軽自動車だった。

が、T360はそのまま市販されたが、S360は日の目を見ずS500になって登録車市場に登場した。何故?と思ったら、登録車がない会社は、登録車が作れなくなるという政令が出るという噂が流れ、ホンダはS500で登録車市場に取りあえず席を確保したのだ。

S500は気筒容積拡大でS600になり成功し世界もそれを認知した:早速買い込んだ筆者のS600は恒例SCCJ主催、JAF公認競技初のヒルクライム競技でクラス優勝を手にした。ピンクシャツが筆者、手前赤い車はNSUプリンツ、遠方にポルシェが見える
何の変哲もないピックアップだったT360は走り出すと正にボーイズレーサーだった。

さてホンダ初の四輪車T360は、見た目ただのピックアップトラックだが、走れば時速100㎞を超えるという、羊の皮を被った狼的モンスタートラックだったのである。

二輪GPで鍛え上げたホンダの技術を注ぎ込んだエンジンは、四気筒DOHC…当時DOHCはアストンマーチンやマセラティなど高級高額スポーツカーかレーシングカーのものだった。

そんな高嶺の花を軽自動車に搭載した。しかも当時の自動車では考えられない8500回転という高回転を実現、その出力も30馬力と驚異的なものだった。

いくら高性能でも、T360やS500がホンダの経営に寄与することはなかったが、四輪市場への足がかりとして役に立ち、やがて登場するN360は、たちまち軽四輪市場の王座に就き、後の大衆車シビックの大成功へと繋がっていくのである。

登場するや長年軽市場の王座に座っていたスバル360をアッという間に蹴落として王座に君臨、後追いの技術向上によりライバル軽自動車の性能を一気に向上させた功績は大きい
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