【車屋四六】ダイハツ誕生₋⑧

車屋四六 コラム

ダイハツの初の登録車コンパーノは、バン→ワゴン→セダン→スパイーダーと順調に育ち、コンソルテ・ベルリーナへと進化する。

一方1966年、コンパ-ノスパイダーのシャシーに1251ccエンジン搭載、開発したレーシングカーPシリーズが登場する。
当時の日本は、1963年第一回日本GPで火が点いたモータースポーツ熱が燃え上がった時期。誕生したダイハツP3はベースのコンパーノスパイダーとは似ても似つかぬ姿のレーシングカーだった。

第一回、二回日本GP開催の鈴鹿とJAFとのいざこざの後、1年空白の後、第三回GP7は新装なった富士スピードウエイ。参加した2台のP3は、真打ちGPレースで参加20台中完走9台の中に入り、クラス優勝した。
P3は、国際規格の二座席レーシングカーだったが、性能はともかく姿は世界のレベルから程遠いダサイ姿のレーシングカーだった。

一方、P3のベースになったスパイダーも、レース用にチューニングされて、伝統の国際レース、マカオGPでクラス優勝を果たした。
また、P3も進化して、スタイリングも国際レベルの達し、68年の日本グランプリでクラス優勝を果たした。

熱心なレース活動で得た技術ノウハウは、市販車に生かされてコンパーノも進化、コンソルテ・ベルリーナの誕生へと繋がる。
コンソルテの誕生は69年だが、それに先立つ66年にダイハツ初の軽自動車フェローを送り出し…大人四人が楽に乗れ、当時常識の空冷でなく水冷エンジン搭載と自慢した。

フェローの姿はスマートではなかったが、ダイハツらしい頑丈で扱いやすいことで、手堅くファンを掴んでいった。そして、クオーレ→リーザ→アトレーと発展を続けたのである。

一方で登録車のコンソルテも、シャルマン→シャレードと発展する。後日シャレードに搭載された4サイクル1ℓは三気筒では世界初登場だった。で、一気筒333cc前後は熱効率がよいとされ、やがて三気筒ディーゼル開発・搭載にも繋がっていく。

(シャレード・クーペ:5㎡カー)

昭代シャレードが登場した時のキャッチフレーズは{5ヘーベカー}=全長x全幅=5㎡は、リッターカーとしては理想のサイズだと主張したのである。

2007年/平成19年、ダイハツは生誕100年を迎えたが、太平洋戦争を挟み、共通して云えるのは技術と手堅さが両立した会社だったと感じる企業だということ。

世界中どの業界でも時代と共に淘汰が進むのは世の常、日本製乗用も、トヨタ、日産、ホンダ、マツダ、三菱、スバル、ダイハツに減ってしまった。一方、軽自動メーカーも、ダイハツとスズキ二強のトップに続き、ホンダ、三菱になってしまった。

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