【車屋四六】ダイハツ生誕100-④

コラム・特集 車屋四六

発動機製造(株)の製品をユーザーが「大阪の発動機」と呼ぶようになり、やがて{大}+{発}でダイハツが代名詞的に普及する。ならばと、ダイハツ工業に改名したのが1951年だった。

そんな51年に登場したのがオート三輪技術を生かしたダイハツBEE。当時小型ばかりの日本製乗用車は、タクシー業界を牛耳るダットサンとトヨペットも、自家用車市場では不人気だった。

大臣高級官僚・金満家御用達は舶来のアメ車がダン突人気で、小型車は英国製が多かった。敗戦貧乏外貨不足で輸入禁止なのに乗れたのは、進駐軍兵士軍属や外交官、輸入車を買える第三国人が買った車なら、3年目に通関登録可能という制度だった。

国産車は不格好が雁首を揃えていたが、そんなところに登場したBEE/ビーは姿が新鮮でスマートだった(トップ写真)。全長4080x全幅1480㎜・WB2400㎜・ダイハツ初水平対向二気筒OHV・804cc・18馬力。

輸入車と較べれば粗末な性能だったが、それでも70~80km程で走れたように覚えている。が、当時{酷道}と揶揄した国道は舗装が破れ、まして国道から外れれば凸凹当たり前か未舗装路ばかり、早く走れても性能を発揮することは出来なかった。

BEEのネーミングは、姿がミツバチに似ているからと説明を受けた。戦前戦後、三輪業界トップのダイハツが、長年の技術ノウハウを生かすのが乗用車を作る早道とは誰もが気がつくこと。

BEE用に開発された水平対向二気筒エンジンをリアに搭載

それまでダイハツのエンジンは、直立単気筒かV型二気筒だったが、乗用車のために水平対向二気筒を初開発した。が、そんな意気込みとは裏腹に、300台ほど造ったところで製造中止になった。

原因は馴染みがない三輪ということで、時代遅れの乗用車ばかりの日本なのに「やはり乗用車は四輪でなくては」という根強いこだわり、そして手作業で造るコスト高が影響したので。

高校生の頃だった。東京の街をビーのタクシーが走っていたので、何度か乗ったことがある。四輪車より料金が安かったと思う。
今時見ても、魅力ある姿だから、消滅が惜しまれる車だった。

さて、日本の物流で一世風靡したオート三輪にも週末が到来した。
昭和30年、思わぬ天敵の出現だった。その格安四輪貨物車を開発し仕掛けたのがトヨタ、登場した天敵の名はトヨエースだった。

こうしてオート三輪の天下は終わりを告げるが、昭和34年ダイハツは、再び三輪貨物車で甦る話しは次回に。

隆盛を極めたオート三輪市場にトドメを刺したトヨエース四輪貨物自動車

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