【車屋四六】何時もオペルはナンバーワンー③

コラム・特集 車屋四六

WWⅠのドイツ敗戦で、兵器産業から自動車産業へ、ゼロからの再出発は常識通りで、戦前型の復刻で再スタートを図るのは、他の自動車メーカーと同様だった。
戦前オペルを欧州最大メーカーに育てたのは五人の息子達だが、戦後の再建は戦死で一人欠けた四兄弟達だった。

話変わって、1998年の米国自動車殿堂に、オペルの長男カールの孫が居た。当時既に世界から選ばれた150人ほどが顕彰されていたが、そこにオペル家から爺様と五兄弟の顕彰で「改めで先祖の偉大さを知った」とは、オペルの孫達の感想だった。

ちなみに1998年日本人受賞者は、本田宗一郎や豊田英二に次ぐ片山豊で、同時にアダム・オペルと五人の息子達、アンドレ・シトロエン、ツェッペリン伯爵/飛行船などが顕彰さている。

さてオペルの戦後再建は、1912年登場して好評だった5/12型プップヒェン四気筒が進化した5/14型と、新開発六気筒モデルだったが、不評だった。WWⅡ後の再建で失敗したBMW同様、疲弊した戦後に、中・高級モデルの需要はなかったのである。(トップ写真:オペル5/12型プップヒェン/戦後は5/14型。全長3600x全幅1600㎜・WB2500味英・水冷直四SV・1394cc・12馬力➚14.5馬力/1800回転・最高速度55㎞)

そこで、次男ウイルヘルムは渡米。目的はドの流れ作業の大量生産システムの調査学習だった。で、帰国したオペルは、工場の大改装にはじまる大胆な改革を実施し、ドイツ初のコンベアシステムを稼働させるのである。

その工場から24年に出荷されたのが、後世に名を残す名作ラウプフロッシュ。ラウプフロッシュとはドイツ語で雨蛙のこと、塗装の色がそっくりなことから生まれた愛称だった。

(オペル4/12型ラウプフロッシュ/ランゲンブルグ)

正式モデル名はオペル4/12型・二座席で26年迄生産…全長3200x全幅1350x全高1650㎜・WB2255㎜・水冷直四SV・951cc・12➚14馬力/2400回転、最高速度60➚70㎞。

それまでオペルの商法は多種多様生産だったが、この時点で単一車種生産、大量生産に踏み切ったのである。
元来ドイツ人は量産品嫌いだったが、安いという値段の誘惑には勝てず、安価なラウプフロッシュの売れゆきは好調で、初年度の24年に4571台→5年後には4万2771台を売上げ、再びドイツ最大メーカーに甦るのである。

が、ラウプフロッシュを発売すると思わぬトラブルが持ち上がる…フランスのシトロエンからの提訴だった。シトロエン5CVのコピー「姿がそっくりだから字が読めないユーザーは間違える」と販売中止の要求だった。
が、裁判の最終結果は「シトロエンは黄色、オペルは緑だから字が読めずとも間違えることはない」で、オペル勝訴となった。

シトロエン5CV:確かに姿は似ている。パリのシトロエン収蔵庫で撮影した5CVは後に登場のカラーバリエーション車。発売当初は明るいレモンイエロー一色だった

 

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