【車屋四六】 何時の時代もオペルはナンバーワン①

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オペルはドイツ車で、今ではGM資本だと誰でも知っているが、19世紀創業時のミシンは欧州ナンバーワンになり、次の自転車でも欧州ナンバーワン。そして1899年に自動車製造を開始する。

やがて自動車でもナンバーワンになるが、WWⅠ敗戦でポシャる。が、戦後再び欧州ナンバーワンに甦るが、WWⅡ敗戦で再度ドン底に。が、再起してVWとトップ争いを続けているのだから、云うなれば{七転び八起き}の精神である。(トップ写真:父亡き後オペルを成功に導いた有名なオペル五兄弟:全員自転車レースで活躍。写真は前から若い年齢順のようだから、後ろの三人が爵位を持つことになる)

錠前師の家に生まれた創業者アダム・オペルは、機械好きな子供時代が終わると、英国→ベルギー→フランスと、当時の機械先進国巡りで技術と知識を身につけて、1862年に故郷に帰ると、ソ-イングマシーン、日本で云うミシンの製造を始めた。

そのミシンは高品質高性能で人気を得て、欧州からロシア、米国へと販路を広げ、たちまち欧州ナンバーワンになるが、実際には世界一だったろうと推測される。

86年に開始の自転車製造。これも高品質…加えて著名な五人の息子が自転車レースを勝ちまくって知名度を上げ販売上昇して、欧州ナンバーワンになると、息子達が付けた次の目標がが、生まれたばかりの自動車だった。

で、手っ取り早い技術習得手段として、零細企業ルッツマンの特許と工場を丸ごと買収して登場したのが、オペル・パテントモトールワーゲン・システムルッツマンだった。
が、残念ながらその一号車は99年に完成するが、アダムの死去が95年なので、アダムが走る姿を見ることはなかった。

リュッセルスハイムの街で人々を驚かせたパテント・モトールワーゲン・システムルッツマン

ルッツマンの諸元は、全長2150x全幅1440x全高1350㎜・WB1350㎜・車重520kg・水冷水平単気筒4545cc・3.5馬力。完成した一号車が、工場所在地リュッセルスハイムの街を時速20㎞で走り、街の人々を驚かせたと云う/明治32年の出来事である。

ルッツマンは自動車としては幼稚だったようで、65台しか生産されず、学習した技術で完成の新オペルは、自転車同様に積極的レース活動で知名度を上げ、生産台数は急上昇。

が、売れるにつれ、ハンドエメド的生産では追いつかなくなり、量産体制に転向、自動車でも欧州ナンバーワンになるが、WWⅠ開戦で兵器生産に転換は常識通りだった。

やがて国家に貢献したとして、ウイルヘルム皇帝からオペル兄弟に爵位が授与されるが、末っ子は戦死、四男は爵位授与を辞退して、最終的に上から三人がフォン・オペルを名乗るようになる。

が、オペルの好調は此処まで…思わぬドイツの敗戦でドン底に落ち込むのだが、其処からのよみがえりは、次回(③)で。

オペル3B型競争自動車/1905年:オペルはPR活動のレース必勝を期し1902年カール・ヨルンスと契約・ヨルンスは自転車競技で300回優勝の経歴持ち主でオペル兄弟達に散々苦汁を飲ませた名選手だった

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