【車屋四六】パッカードのことはオーナーに聞いてくれ

車屋四六 コラム

{Ask the Man Who Owns One}は1898年誕生のパッカードが、1954年に生涯を閉じるまで使った名キャッチコピーである。
「パッカードのことはセールスマンではなくオーナーに聞いてくれ」高級高品質に自信のパッカードならではのコピーである。(トップ写真:パッカード・デラックスエイト・スポーツフェートン/1932年とハリウッドスター、ジーン・ハーロー)

その昔は高級車の代名詞で、米国ばかりか世界の王侯貴族金満家御用達で、WWⅡ以前には天皇家でも数台所有していた。
WWⅡ中の乗用車製造禁止時代は、高精度を要求されるロールスロイス・マーリン発動機のライセンス生産をしたことが有名だ。
それを搭載したノースアメリカンP51はWWⅡ中の傑作機で日独戦闘機の天敵となり、朝鮮戦争まで活躍した。

パッカードが、買ったばかりの新車ウイントンで意気揚々と家に向かう途中で故障。技術屋の彼は自分で直して走り出すとまた故障…頭にきたパッカードは工場に取って返し「こんな車は使い物にならない」とクレームを付けた。

ここで謝れば名車は生まれなかったかもだが、頑固者ウイントンは「文句有るなら自分で造ってみろ」とはねつけた。それならと一切の妥協を許さず高品質を追求した乗用車の完成が1898年だった。

やがて高品質・頑丈・高性能が認知され、ファンが増えたと云っても、一握りの金持ちばかりだが。そして15年に登場したのが、ツインシックスと呼ぶV型12気筒エンジンで、高級車市場でキャデラックやリンカーンをもしのぐ不動に地位を確立したのである。

ルーズベルト大統領公用車・パッカードV12コンバーチブルリムジン、1939年

1932年型スポーツフェートンとジーン・ハーローの写真には、デラックスエイトとあるから、有名な直列八気筒搭載車だろう。
1911年生まれ、彼女の本名はハーリン・ハーロー・ベンダーだが、37才の若さで早逝した、ハリウッドの人気女優だった。
ティーンエイジャーの頃から端役で出演の彼女にスカウトマンが目にとめて、週1500ドルでハワードヒューズ監督{地獄の天使}の主役に抜擢されてスターの足がかりを掴んだ。

で、何本目かの{紅塵}でスターの座を確立するが、その頃のギャラは、週5000ドルという大物スターレベルに達していた。
{ベイビー}の愛称も生まれ、ハリウッドのセクシーシンボルとも云われるようになったが、37年{サラトガ}の撮影中に倒れた。
が、新興宗教に凝る母親が医者に診せるのを拒み、映画スタッフが病院に担ぎ込んだ頃には、もう手遅れだったという。

専属契約で週給5000ドルなら、数万ドルもするパッカードでも{お茶の子さいさい}ということだったろう。
ちなみに1932年/昭和7年、日本で一流大学卒の初任給70円…当時パッカードの輸入エージェント、溜池の三和自動車では最上級V12気筒車に販売価格の表示はなく{御見積もりいたします}とだけ。廉価版のストレイトエイトで2万5300円だったのに対して、シボレーが4400円だった。

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