【車屋四六】米のコンパクトカーと日欧車の対決

コラム・特集 車屋四六

WWⅡで国土が戦場にならない米国の1950年代は元気溌剌…それを象徴するかのように、乗用車は広く長く、大排気量へ、大馬力へ何処まで?と首をかしげたくなるほどの進展ぶりだった。

60年、世界一を誇る乗用車生産は650万台…が、この辺が全盛アメ車の転換期だったようだ。メッキ沢山のゴージャス車は、好況の上にあぐらをかき、客の好みや技術発展には無関心だったようだ。

そんな市場に徐々に食い込む欧州小型車に気が付き、元来不得意な小型車開発に手を付けた。もっとも50年代初頭にカイザーフレイザー社からヘンリーJが登場しているが、こいつは不成功。
が、60年前後に投入した小型車は、目標の欧州車退治成功のかたわら米国の中級車をも喰ってしまった。

そんな小型車のトップバッターがナッシュランブラーだが、二匹目の泥鰌で人気を得たのがフォードファルコンとGMコルベアー(トップ写真)。
さらにクライスラーの小型も戦線に加わり、市場で30%ほどのシェア獲得に成功する。

フォード・ファルコン1960型

が、前述、米中級車を喰ったことで、フォードエゼルは生産中止に、歴史あるクライスラーデソートも消えていった…栄枯盛衰は世の習い、さらに参戦した日本勢は、米国中級車や高級、ついでにと欧州車も食い始めたのである。

結果、60年を例に取れば、ルノー19483➘4165台、シムカ3041➘2010台、オペル3417➘1950台、トライアンフ2153➘1532台、フィアット3546➘1520台へと現象。VWだけが例外で8705➚13900台へと売り上げを伸ばした。

以後VW以外の欧州勢は右肩下がりが続く一方で、敗戦国日本から上陸の小型車が60年代からじりじりと雁首を持ち上げる。
で、首位のGMは頑張るが、フォードは痛手を負い、クライスラーは合併吸収を繰り返しながら、ついにはダイムラーベンツとの合併に追い込まれた。

そんな時代のフォードでは、創業者ヘンリーの死後、実権を握ったフォード二世は、WWⅡ中統計管理で腕を振るった空軍将校10名をヘッドハンティングし、重役に迎え、経営の合理化に成功する。

その中で、目立つ存在がマクナマラ中佐。カリフォルニア大からハーバード大を主席卒業後、助教授就任中に空軍に引き抜かれ、腕を振るった。退役後は前述通りフォードへ就職するが、その後がいけなかった。

折から誕生したケネディー政権のヘッドハンティングで、フォードを退社し国務長官に就任する。
もし、フォードに在席、社長として腕を振るっていたら、その後のフォードは、かなり違っていたことが推測される。

Tagged