【車屋四六】アルファロメオの生い立ち

コラム・特集 車屋四六

1870年にヴィットリオ・エマヌエレ帝が国家統一を果たすまでのイタリーは、都市国家だったから、統一後の20世紀に入っても、都市間の対抗意識は相変わらずムキ出しだった。
それはミラノとトリノでも例外ではない。統一前のミラノはロンバルドベネーネ王国、トリノはサルディニア王国であった。

さて、善悪はともかく日本人は忘れることが得意な民族。白虎隊の子孫が「先祖が薩長の奴らに殺された」と酒場で喧嘩が始まるということなどないが、外国人ならあり得ることである。
WWⅡ後、進駐軍のクラブで北軍の唄をやれば、直ぐに南軍をやらないと喧嘩が始まる、と親しいバンドマンが云っていた。
2000年も経っているのに、土地があると聞けば世界からユダヤ人が集まって建国する、日本人ではあり得ないことであろう。

19世紀末に自動車が発明されると、イタリアでもと早速旗揚げしたトリノ市のフィアットは、2007年にグランプリで優勝して、イタリアのトップメイカーになった。

となると納まらないのはミラノ市…「トリノにあってミラノにないのは怪しからん」と銀行家や地元有力者が雁首を揃えて発足したのが、Societe Anonia Lombardia Fabrica Automobilli/ロンバルディア自動車製造会社…頭文字を並べるとALFAになる。

かくして誕生した会社はミラノの誇りと、エンブレムに市の紋章を頂戴し、手っ取り早い手段として、フランスから進出したが不評で左前のダラック社工場を入手、車を造り始めた。

で、車の完成は思いのほか早く、1910年会社創立→11年車完成…通常最初の車などというものは、改良→改良で一人前になるものだが、アルファは初めから傑作だった。(トップ写真:アルファ一号車24馬力/1910年:ラジェーターにALFAの文字とALFA MILANOで囲まれたミラノ市紋章が誇らしげ。勿論リムジン/箱形仕様もある)

当時は先ずシャシーを完成し、架装するボディーで多様化させるのだが、最初の市販車は大型のツーリングカーだった…そのシャシーは優れていたらしく、レーシングカーに仕立てると各地のレース場を荒らしはじめた。

さて、WWⅠ中に技術屋ニコラ・ロメオが経営に参加し、戦争が終わると社長に就任すると、アルファ社の路線はスポーツカー優先経営に向かい、生産車をアルファロメオと呼ぶようになる。

ヤーノ初作品P2グランプリカー1923年:1987cc+ルーツ型スーパーチャージャーで140馬力・最高速度225粁。デビュー戦のクレモナでいきなり優勝して注目を浴びる:WWⅡ後ザガートのレプリカ1750をSCCNの宇田川武良が所有

高速度225km。デビュー戦のクレモナでいきなり優勝して注目を浴びる:WWⅡ後ザガートのレプリカ1750をSCCNの宇田川武良が所有)そんなアルファ社に、エンツオ・フェラーリが入社するが、レースの腕前はイマイチだったが、マネージメントで腕を振るう。
時代は未だフィアットが優勢だったが、フェラーリは1923年フィアットのトップ技術者、ビットーリオ・ヤーノのヘッドハンティングに成功する。

ヤーノは期待に背かず、わずか9ヶ月で完成したグランプリマシーンP2は、直列八気筒DOHC+スーパーチャージャーで、アルファ長年の夢だった、宿敵フィアットから王座を奪ったのである。

小型で大型車並の高性能を狙った6C-1500/1750/2000テスタフィッサ/1924年:アルファ・スポーツカーの原点6Cはヤーノが手がけたスポーツカーの初作品。登場年にミレミリアで優勝