【車屋四六】ホールデンを知っていますか

コラム・特集 車屋四六

ホールデンの源流は1856年JAホールデン創業の馬具製造会社→車ボディー架装→WWⅠ後に自動車製造開始→世界恐慌で1931年GM傘下に。いずれにしても豪州唯一の自動車メーカーだった。

が、WWⅡ終戦→70年代になるとVW・ルノー・オースチン・日産・クライスラー・三菱・トヨタ・フォードなどが雁首を並べたが、徐々に撤退で、最後のフォードも2016年撤退、ホールデンは再び豪州唯一の自動車メーカーに復帰したのである。

私のホールデンは、敗戦→進駐豪州軍の軍用ホールデンが走るのを見たのが始まり。が、その後日本市場で見掛けなくなったが、かつてマツダの大型乗用車ロードペーサーはホールデン製車体にREを搭載、またいすゞの大型乗用車ステイツマンも同社製で、まんざら縁がないわけではなかった。また、オペルカデットのいすゞ版ジェミニを、ホールデンが生産したこともあった。

(WWⅡ後初期のホールデン・コマーシャルバン/那須自動車博物館で

WWⅠ後開始したホールデンの自動車製造は、英国モーリス社から駆動系を輸入、ホールデン製車体を架装したものだったが、元々本業のボディー製造架装技術が生かしたのである。

その後GM傘下に入ってからは、シボレー・ビュイックなどGM車を生産する傍ら、クライスラー・プリムス・ハドソン・スチュードベイカー・ウイリス・レオなどのコーチワークもこなした。

いずれにしても、輸入車、国内生産ともども豪州産純血種はなく、国旗を見ても判るお国柄らしく、当たり前のように英国系の自動車が半数以上という状態であった。

その頃の豪州は地下資源・天然資源は豊富だったが、工業化されず、もっぱら産業の中心は農業と牧畜だった。が、WWⅡ中に豪州政府は国の優先課題を工業化に転向した。

そこで英国に相談したが、英国はドイツ相手の戦争中で自分の始末だけで手一杯と断ったが、すでにホールデンで進出していたGMが、それではと助け船を出すことに。

で、1948年、豪州初の純国産車ホールデンが誕生する…豪州進駐軍が持ち込み日本で走っていた軍用乗用車は写真のコマーシャルバンと同じツラ構えだったと記憶する。

が、血は争えぬと云うが、このその姿はどこか40年代のシボレーに似ていると思った。全長2998㎜・Wウイッシュボーン1700㎜・」車重970kg・直列六気筒OHV2171cc・61馬力/5000回転・3MT・タイヤ560-15。

国策で生まれた国産車らしく、ホールデンは政府の保護を受けて順調に成長し、69年代には英ボクスホールベースの小型車を、またV型八気筒搭載の大型乗用車も登場するが、70年代に入り欧州車、日本車が台頭し、関税引き上げで国産車保護など手を打ったが焼け石に水で、人気が落ちていった。

その後の様子は御存知と思うが、もう終わりかと思われたホールデンは、21世紀に入り進出各社の相次ぐ撤退で、不死鳥のように息を吹き返へしたのである。

いすゞステイツマン1970年型:運転席は取材中の筆者/芝増上寺山門で仁王像がかすかに/後方ネットは芝ゴルフ打放し練習場だが後年東京プリンスホテルに
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