【車屋四六】プショー504

コラム・特集 車屋四六

戦前の1938年頃、プジョーの人気は大したもので、フランス車の25%を占めていた。が、WWⅡ開戦→ドイツ占領下でポルシェの指揮下に入ったので、連合軍の猛爆で工場は瓦礫の山に。

45年4月ドイツ降伏でプジョーは再建開始…1948年最初の203を出荷。戦勝国ながら国中戦場で国土荒廃、経済再建中に適したのは廉価大衆車ということでの再出発だったようだ。

55年ころ、戦争の傷も癒え経済が落ちつくと、当然のように中位モデルの403が登場する。そして68年満を持してパリサロンに登場したのが、アッパーミドルクラスの504だった。

曲線と曲面で構成の独特なスタイリングは、伊カロッツェリア界人気のピニンファリナの作品で、ヨーロッパでは人気が高かったが、日本では理解されなかったようだ。

高級指向らしくスライディングルーフが標準装備の504は、当時の日産ローレルと同サイズだったが、ずっと存在感があり大柄に見えたものである。

試乗車は西武自動車役員使用のAT車・Fマークから母国で登録後輸入されたようだ。右に西武のステッカー・下にDieselのバッジ。美しい欧州好みの曲線曲面の姿は日本では不評だった

全長2740㎜・全幅1690㎜・全高1460㎜・WB2740㎜・車重1200kg。
エンジンは404用のストロークを伸ばしてボアストローク84x91㎜で1798cc・圧縮比8.35・76馬力/5500回転・13.5kg-m/3000回転・フルシンクロ4MT・最高速度156km/h。

上記はソレックスキャブ型だが、燃料噴射型の90馬力・最高速度173km/hもあった。また、キャブ仕様にユーザーからの更なる性能向上が求められて、71年ボーアアップして1971cc/87馬力・最高速度162km/hで対応した。

504のディーゼルエンジン

504が登場した68年=日本は昭和43年。こちらも戦争の傷跡はほぼ癒えて、世の中平穏。が、暇ができればと云うことではなかろうが、学園闘争や東芝府中の三億円強奪事件などが報道を賑わせた。
また、東京のタクシーの半数1万6000台に冷房が付き、京王電鉄にも日本初の冷房付き通勤電車が登場、世の中に贅沢が求められ、顔を出し始めた頃でもあった。

写真の504は、71年登場のディーゼル搭載車で、撮影は平塚の相模川河口。当時プジョー輸入元は西武自動車だった。
ディーゼルの仕様は、2112cc・圧縮比22・59馬力/4000回転・12.3kg-m/2000回転・4MTで最高速度が134km/hだった。

当時プジョーの車種構成は、フラグシップの504を頭に、404→304→204の順に並び、72年から加わるリッターカーの104と共に、ピニンファリナデザインがデザインを担当していた。
ちなみに504は、69年欧州カーofザイヤーを受賞、370万台も売れた人気車種となる。

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