【車屋四六】日産シルビア1979

コラム・特集 車屋四六

そもそもが台湾で、以後韓国、中国と追い回されている日本の電子産業だが、その中で今じゃ身近になったパソコンの源流を探すと、1979年/昭和54年にたどり着く。

PC元年=79年5月…NECから16万8000円で売り出されたPC8001で芽を出し、育ち、ブームになり常識的電化製品になる。(写真下:珍し物好きオッチョコチョイの筆者が早速買ったNEC8001/下の白い箱/モニターは別売:モニター前はカセットレコーダー/OS・ソフト・記憶媒体など全てをカセットテープが受け持った。)

同じ年、喫茶店や遊技場に登場したのがインベーダーゲーム…全国に28万台も普及、また電卓型の英和・和英辞書の登場も同年だが、それはトランジスタ→IC→LSIと進化を続けた結果だった。
で、とばっちりを受けたのが真空管…松下電器の出荷を最後に日本から真空管が消えたのも79年だった。そんな電子産業の景気よさとは裏腹に自動車業界は大わらわ…イラン革命成功→各国宛石油供給減通告で第二次石油危機到来、一方排ガス対策でダウンしたパワーの回復と痛しかゆしだった。

そのパワーダウンからの脱出策として日産が取った手段がターボの採用で、その一弾がセドリック/グロリアだった。

一方長年技術を積み重ねたL型エンジンもZ型に進化し、キャブレターが電子制御燃料噴射になったが、点火装置の高圧コイル+ディストリビュータは未だ健在だった。(写真右:Z型2000直列六気筒の懐かしいディストリビューター:見にくいが上部に高圧コイルも写っている)そんなZ型搭載の三代目シルビアを紹介しよう。(写真トップ:三代目シルビア2000ZSE-X/158.5万円。このあとプレーンバックのハッチバックが追加される)

こいつは、前年登場して若者を掴んだホンダ・プレリュードの対抗馬で投入の、パーソナルジャンルのスポーティークーペだった。
で、目論見通りプレリュードの牙城に食い込み、目的達成。

全長4410㎜・全幅1680㎜・全高1310㎜・車重1105kg・写真は最上級モデル2000ZSE-X/158.5万円。20Z型直六OHC・1962cc・120馬力/5600回転・17.0kg-m/3600回転・5MT/3AT・前輪ストラット/後輪フォーリンク・四輪ディスクブレーキは本邦初だった。

走れば、クーペなのに後席の居住性も良く、乗り味とハンドリングの良さで楽しいクーペだった。こいつの登場は3月だったが、8月になると追い打ちを掛けるように、ハッチバックを追加した。

さらに81年、1.8ℓターボを追加、82年には2ℓDOHC搭載のRSというように車種の充実で、プレリュードとの戦いを進めていった。
そして、83年にニューモデルにバトンタッチする。

さて、三代目登場の79年/昭和54年は石油危機で、生まれた流行語が{省エネ}。ついでに同じ年の流行語を並べてみても、ほとんどが忘れられていることが判る。
ジャパンasナンバー1・エガワル・天中殺・ダサイ・関白宣言・オジン・オバン・ギャル・熟年・せこい・ウサギ小屋・{女には前と後ろがあるのです}は290万枚も売れたワコールのヒット作{フロントホックブラ}から生まれた流行語だった。

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