【車屋四六】アームストロングシドレイ・サファイア

コラム・特集 車屋四六

どこから見ても英国車の姿をしたアームストロングシドレイを銀座で見掛けた。運転手を見ると、俳優の山村聡だった。
もう一台、別のアームストロングシドレイもよく知っている。(写真トップ:アームストロングシドレイ・サファイア1953年型:手縫いの革張りシートとインテリア、磨き込まれたニス塗りウッドトリムは見事なものだった)

それは日本橋茅場町、私の給油&修理カブトオートセンターの客で、当時、売れっ子写真家の佐藤明の愛車だが、その前のオーナーが岸恵子…真知子巻きで知られる映画{君の名は}のヒロイン。佐藤明は麻布小学校で三年上の先輩で奥さんは俳優木村功の妹。シックな黒色のレザーエッジで伝統の英国風姿だが、ステップが消えた戦後のスタイル。が、前後泥よけの痕跡を残した、いかにも高級車という風情の大型車だった。
山村聡のアームストロングはホワイトだった。

サファイアは1953年に登場、シックスライトの明るいキャビンは革張りで見事なウッドワーク、反射鏡を三本スポークで支持したルーカス製ヘッドランプ、どれもが良き時代の大英帝国だった。

古き英国車の象徴的三本スポークのヘッドランプ。前方への電球直射光を押さえ下方に光量を増やす半月形椀型反射鏡を支える三本スポーク。ロールスロイスでは上下二本の時代もあった。高級車の反射鏡は銀メッキで優しい放射光が独特だった

英本国では、ホイットレイやハリケーンシリーズ2309cc75馬力も売られていたが、日本向けは最上級サファイアで、直六OHVは3.5ℓ・ストロンバーグ型キャブレター二連装で150馬力、当時時速100マイルを超える実力を誇る高級車だった。

特徴ある変速機は、ダイムラーやランチェスターで紹介したプリセレクタードライブ。20世紀初頭に登場した、ATの元祖とも云うべき半自動変速機を搭載していた。

さてアームストロング社は1960年に長い歴史に終止符を打ったが、12年創業シドレイデイジー社と06年創業アームストロングホイットワース社が、19年に合併して生まれた会社だった。

更に遡り、1810年サーW.G.アームストロング卿が創業のアームストロング社は、英国最大の兵器会社で、有名なアームストロング砲や戦車や軍艦が世界中の軍隊で活躍した。

戦艦三笠はビッカース社製だが、日本海海戦では、日露双方でアームストロング砲や軍艦が戦った。例えば日本の巡洋艦、浅間、出雲、常陸、吾妻などがアームストロング製。戦後の日本海軍の戦艦日向は、バルチック艦隊からの分捕り品だった。

メッサーシュミットやハインケルが軽自動車を、中島飛行機がスバルを、立川飛行機がプリンスを、というように戦争が終わり自動車製造に転じる兵器会社は沢山あり、特にドル稼ぎ優先の英国も同様で、アームストロングやブリストルなどが有名である。

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