【車屋四六】日本にたった一台のキャデラックは誰の手に

コラム・特集 車屋四六

1955年/昭和30年、政府は一般日本人向けの乗用車輸入を禁止した…敗戦の後遺症による外貨不足が原因。で、外車ユーザーの政府高官、大臣、偉い政治家、大企業経営者、成金達が困った。
が、賢い政治家と役人達は、ちゃんと抜け道を造っていた。(写真トップ:キャデラック/1958年、当時流行のピラーレス・フォードア・ハードトップ。もちろん東映に納車の車は黒色。)

関税無しで在日駐留軍人軍属家族と各国外交官が買った車が、2年を経過した時点で関税を払い、日本人が買える仕組みだった。
で、結果的に3年目の中古車が日本人の新車ということになった。

当時の関税は、WB120吋以上83%、以下が68%だった。
で、新しい流通手段が生まれた。外国人から車を買って通関し、日本人相手に売る販売業達である…もちろん外人に車を販売する正規エージェントも含まれる。

私は東京生まれの東京育ちだから、余所のことは知らないが、東京では、そんな業者が芝・赤坂界隈に集まっていた。そんな業者達にも色々あって、自前の資金で車を買い関税を払って在庫するAクラス。其処から車を卸ろして貰うBクラス。そんな業者達から歩合で成功報酬を得る一匹狼のCクラス達である。

もっとも販売は彼等達だけではなかった。修理業者も仲介することがしばしばあった。というのは、日本人には新車でも、しょせんは3年目の中古車だから、鯛もあればハゼもある。

で、ユーザーは、日頃出入りの修理業者に鑑定させるが、修理業者に任せるユーザーも多々あったのである。で、在庫の情報が、赤坂辺りの業者から流れてくるようになり、また直接取引もするようになったのである。

さて当時の相場は、正規輸入最後の54年型で、シトロエン2CV=75万円、ルノー4CV=83万円、ベンツ300=385万円、ベンツ220=230万円、VW=85万円、オペルレコルト=96万円、ポンティアック=240万円、キャデラック=350万円などだった。

メルセデスベンツ300:貫禄の高級車だったが当時の人気はキャデラックの方だった

 

それが輸入禁止で、裏街道の流通が盛んになるにつれ年々相場が上がりはじめた。60年頃だと、シボレーやフォード=400万円、ポンティアック=500万円、キャデラック700万円前後という具合で、2年使ったのに、およそ新車の二倍程にもなってしまった。

そんな頃のある日、私の工場にとんでもない情報がやってきた。
日本向けには57年型が最新なのに、1年しか経っていない58年型キャデラックを在庫したから、宜敷(よろしく)というのである。

出所は某小国大使館で、どう間違ったのか、または巧妙な手品が使われたのか、無事に通関され在庫したという。この日本で一台という新型を誰が扱うのかが業者中の話題となった。

私も修理の得意先だった、木下産商や味の素、東光電気、三菱商事などに話しを持ち歩いたが、残念ながら売り込みに失敗、それから二ヶ月ほどが経ったある日、売れて騒ぎは収まった。

日本にたった一台の貴重なキャデラックの後席に座ったのは、大川博…東映の社長だった。
WWⅡ後のこの頃、日本で大衆娯楽の頂点に居たのが映画で、その業界で、チャンバラとヤクザ映画が大当たり、快進撃を続けていたのが東映だったのである。

さて、売れる前、誰が、何処へ、幾らで売るのか、も大きな話題だったが、その納車価格にまたビックリしたものである…57年型が7~800万円が相場の時代、なんと1900万円だった。
ちなみに当時の大卒初任給2万円、東映封切館に場料が500円という頃だった。

クラスメート西村元一の父親が買った最後の正規輸入車1954年型ポンティアック・スターチーフ\240万円のカタログ/色も同じだった

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