【車屋四六】80年代三菱の高級車

コラム・特集 車屋四六

1980年代の三菱は元気一杯だった。クライスラーと合弁してダイアモンドスター社設立→米国現地生産、マレーシア・プロトン社で現地生産、ベンツと提携、韓国現代自動車に技術供与、等々。
ギャランの日本カーofザイヤー受賞には私も投票。88年株式上場。オランダ政府+ボルボ+三菱でネッドカー設立・三菱開発のプラットフォームでカリスマとボルボV40が並んでラインを流れる光景を見て「元気だなぁ」と感心したものである。

64年に誕生して{走る化石}と揶揄されたデボネアが、実に22年ぶり二代目に衣替えしたのも86年だった。全長4860㎜、全幅1725㎜、車重1620kg、堂々の3ナンバー車だった。

{走るシーラカンス}と揶揄された初代デボネア:米人デザイナー作の姿が立派で、ライバルのクラウンやセドリックより広い室内が豪華で居心地が良かった

デボネア最上級の3000ロイヤルエクストラ421万円は、クラウン30ロイヤルサルーン443万円、セドリックV30ブロアム438万円を考慮する価格設定だった。
が、価格では三番目、ではなかった…ベンツのカタログに載るドイツのチューナーとコラボしたデボネアV30ロイヤルAMGは、451万円と誇らしげな高性能高級車だったのである。

その異様な白い姿に初対面のとき「あの堅物三菱がよくぞこんなものを」と開いた口がふさがらなかったのは、私だけではなかった。
前後スポイラー、サイドパネル、15インチホイールなど、チューニングは主に空力主体で、電子制御サスペンションで走りの本質にも手が加えられていた。

最上級モデルのAMG仕様:三菱の役員が?と思った。乗り心地は上々で最上級装備の後席は快適だった

元来デボネアは法人向け高級車なのに「誰がこんな物に乗るんだ」と疑問を持ったら、間もなく箱根のギャラン報道試乗会で、その白い姿を発見した。

車の主は、のちに社長から会長になる、中村裕一副社長、我々が{ユーさん}と親しむ人だった。その日、二人で昼食を共にしたが「具合の良い車ですよ」と話していた。

クライスラーへの輸出も決まった三菱サイクロンV6は、OHC・2992cc・235馬力、ECIマルチは電子制御燃料噴射で各気筒ごとに燃料を噴射する高性能エンジンだった。
4ATも電子制御、ステアリングのチルトはドアに連動して乗降を楽にし、今では常識のハンズフリー電話も当時は感心事項だった。注目すべきは、当時高級車の常識だった後輪駆動から前輪駆動に変わったことだった。

当時の日本は経済成長で贅沢車歓迎時代に入り、ソアラなどが登場して、ハイソカーブームが走り出し、ホンダがポルトガルGPで優勝というのも話題になった。

同年、マルコス・フィリピン大統領亡命でアキノ女性大統領誕生。三原山大噴火。たけし軍団11人がフライデー/講談社に殴り込みなど、多くの話題も、既に懐かしい昔話になってしまった。

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