【車屋四六】メルセデス誕生

コラム・特集 車屋四六

日本ではベンツだが、正確にはメルセデスベンツ。1926年ベンツとダイムラー合併で誕生したダイムラー社の乗用車の標章である…が、遡れば旧ダイムラー社の標章だったのだ。

が、そもそもの始まりは、オーストリアの銀行家イエリネックが世界最強の車をとダイムラー社に発注…故ダイムラーの盟友マイバッハとダイムラーの息子パウルが開発した車は、多くのレースを制覇。喜んだイエリネックは同型36台を追加発注、全世界の販売権を得たのが1899年だった。(発売1901年)

が、ダイムラーの硬い響きを嫌い、自社販売車に愛娘メルセデスの名を付け02年商標登録。評論家徳大寺有恒や一部評論家はドイツ語らしくメルツェデスと云うが「イエリネックはスペイン系だから娘をメルセデスと呼んだはず」とは長老故五十嵐平達の解釈。

銀行家であり外交官だった、エミール・イエリネックの愛娘メルセデス・イエリネック、10才頃と云われている

メルセデス登場は1901年だが、今回は07年型で、ラジェーターグリルに美しく金色にMERCEDESの文字が光っている/バンコクショーで。

イエリネックがマイバッハに注文した条件は、WB長く・重心低く・エンジン強力だった。で、生まれたダイムラー・シンプレックスは、操安性、乗り心地も、当時のライバル車を凌駕し、それから数年間はライバル達の教科書的存在となった。

まず縦置きエンジン→クラッチ→変速機を直線上に配置は現用車と変わらず。直四5930ccエンジンはツインキャブレターで35馬力。ステアリングの丸ハンドルが手前に寝たのは史上初、またシフトゲート付四速フロアシフトも初物だった。

木製フレームが常識の時代に鋼鉄フレームは斬新で、ライバル達が驚嘆したのは冷却方式。当時40ℓ前後も必要とした冷却水が、シンプレックスでは僅か10ℓしか必要としなかったからだ。
その仕掛けは、蜂の巣状網目のラジェーターの開発で、飛躍的に冷却効率を高めたのである。

写真トップの07年型メルセデス・シンプレックスは四座席の幌型だが、後席を外して二座席にすれば、即レーシングカーに変身する。その作業は30分間もあれば良かったと聞く。

真鍮製の大きなヘッドライトと車幅灯が立派だが、この頃には、ローソクの時代も終わり、アセチレンガスライトに進化したようで、単に自車の存在を知らせる道具から、前方を照らす前照灯の機能が備わったのである。

ちなみにアセチレンランプといっても知らない人が多くなったが、小型発電機が登場する前は、縁日や祭りの屋台や小屋の照明は皆これだった。WWⅡ以後もかなり長期間活躍していた。

原理は、カーバイドと水の反応で発生するアセチレンガスを燃焼させると強力に発光、当初鉱山などで活躍したが引火爆発の危険ですたれたが、現在でも集魚灯などに僅か使われているそうだ。
アメリカで発明され、1900年に特許を得ており、自動車や自転車など多くの場所で活躍した。

ラジェーターグリルに輝くメルセデスのエンブレム。クラシカルなアセチレンランプも今では興味深いものがある

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