【車屋四六】日本の前輪駆動ことはじめ13

コラム・特集 車屋四六

FFとは日本独自の用語で、英語ではFWD。いずれにしても前エンジン+前輪駆動を指すが、その元祖をミニと思っている人が意外に多い。日本に限れば元祖はシビックということになる。

が、FWDはWWⅡ以前からのもので、名の知れたところで、コード/米、シトロエンなど、戦後のDKW/独やサーブなど、また日本ならスズライトが1955年、どれもミニの先輩ということになる。

古来FWDの泣き所は前輪に駆動力伝達の等速ジョイント。で、スバル1000はミニを参考にと思ったが納得せずに自社開発、こいつが世界のFWD前進に役立ったことを知る人は少ない。

スバル1000誕生は66年だが、日本のFWD普及を勢いづけたのは72年誕生のシビックだが、ホンダは67年誕生の軽N360のタックイン現象事故の訴訟で、当初専門家はシビックに首をかしげた。日本にFWDを完全認識させ、普及させるためには、二大巨頭のFWD投入が必要だった。もちろんトヨタと日産だが、両者の重い腰はなかなか上がらなかった。

最初に腰を上げたのは、やはり日産だった。当時両者の傾向は、斬新機構は日産、トヨタは二匹目のドジョウ狙いが多いと世間は受け取っていたが、石橋叩いて・・と云い方もあるだろう。

日産初FWDチェリーが登場した70年は、赤軍派のJALよど号ハイジャック、楯の会市ヶ谷自衛隊総監部占拠、三島由紀夫会長がバルコニーで演説のあと切腹・断首のニュースに人々が驚いた年。(FWD・水平対向四気筒・インボードブレーキ等々余りの斬新さに世界が驚き試乗車を買ったというスバル1000。水冷なのにラジェーター無くファンも無く、室内もトランクも驚く広さだった)

当時日本経済は順調満帆が自家用車は四所帯に1台に達し、マイカーブームの牽引役を担ったサニーとカローラのあと、軽のユーザー吸い上げを狙ったのがチェリーだったのである。
チェリー開発は、斬新技術開発得意の旧プリンス系技術者達。

FWD大衆車普及の先駆けとなったチェリー・ツードアセダン

一方、トヨタが重い腰上げたのは78年。ターセルとコルサFWDが誕生する。そんなチェリーとターセル誕生との間の74年に、世界でFWD車の教科書的存在となるゴルフが誕生している。

大メーカーのFWD大衆車の先鞭チェリーは、前哨戦でティーザーキャンペーンを実施{噂のX-1この秋登場}。X-1はチェリーの開発コード名で、市販後もスポーティーモデルにその名が残された。

続いてモニター300名募集に、実に14万人が応募おおきな反響を得て誕生したチェリーは、1ℓと1.2ℓ、2/4ドアセダンだったが、翌年に美しい姿のクーペが追加されて、X-1を名乗った。

いずれにしてもリッター3610㎜というコンパクト車体の中のキャビンの広さに「さすがFWDと感心、軽快な走りにも拍手が送られた。またスポーティーなX-1の最高速度160㎞にも感心した。

トヨタFWDの先駆けターセル&コルサ:取材試乗で行った埼玉関宿滑空場で母校滑空部後輩が合宿訓練中だった
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