【車屋四六】 TバードがTバードらしかった頃

コラム・特集 車屋四六

日本は世界一の二輪生産国だが、昭和30年頃は、富士重のラビットや三菱のシルバーピジョン等のスクーター全盛期、二輪はメーカーが乱立し100社以上がシノギを削っていた。

「ウチは日本の五大メーカーだ」というので訪ねたら「五大じゃないよ五台だよ」と社長が大笑い。一ヶ月の生産量が5台という、街の自転車屋のような工場だったというエピソードもあった。

カー&レジャーの常連執筆者・鈴木五郎勤務の昌和やトーハツ、またドリームやベンリーのホンダは、本物の五大メーカーだった。
その頃の四輪はというと、ようやくクラウンが登場したばかりで、走る車の大半はダットサン、トヨペット、プリンス、オータ、そして格好良いのが日野ルノー、いすゞヒルマン、日産オースチン。

そんな昭和30年は1955年、先進国の米国でビックリのスポーツカーが誕生した。大型ばかりの米国とは云え、長大フルサイズなのに、二人しか乗れない贅沢きわまりないサンダーバードだった。

長ったらしい名前のサンダーバードを、米国人はTバードと呼ぶようになった。Tバードは、宿敵GMのコルベットをターゲットに開発された、米国で二番目の量産スポーツカーだった。

三代目Tバード1961年型/V8OHV6240cc300HP:トノーカバー型ロードスター/S字金具付ランドウ型もあった

WWⅡ後に戦前型で再開した米国の乗用車生産は、50年頃に戦後型に衣替えするが、エンジンは昔のままのサイドバルブが多かった。が、55年頃になると戦後開発のOHVが登場し、Tバードの心臓4672ccもOHVで198馬力、もちろんフォード伝統のV型である。

手を出さなかったスポーツカー分野に、ビッグ二社が手を出したのは、欧州から兵隊が持ち帰ったスポーツカーでのレースが盛んになり、米国に新しい市場が生まれたからだったようだ。

Tバードは成功した、もちろんレース場でも活躍したが、レースには無関係なファンも生み出した。欧州勢は走るための道具だからマニュアルシフトでハンドル重く乗り心地が悪いが、Tバードは乗り心地よくハンドル軽くATもあるという選択肢があったのだ。

評判の良いTバードは、57年にマイナーチェンジ、58年と61年にフルモデルチェンジを続けたが、スポーツカーとしての生命はそれで終止符を打った。

で、64年からはスポーティーな乗用車になり、70年代になると普通の乗用車になり、2002年登場の11代目モデルが最終で、2005年に市場から消えていった。

三代目Tバード1961年型/V8OHV6240cc300HP:トノーカバー型ロードスター/S字金具付ランドウ型もあった
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