【車屋四六】イシゴニスの傑作はミニだけじゃない

コラム・特集 車屋四六

アレクサンドル・アーノルド・コンスタンチン・イシゴニス…落語のジュゲムほどではないが、一度では覚えきれない日本人向き名前ではない…後にエリザベス女王から爵位を受けた、サーイシゴニス博士と云えば御存知だろう。

そう、20世紀中の傑作{ミニ}生みの親…ミニは元祖前輪駆動ではないが、小さなボディーに大きな居住空間という、小型車革命の火付け役だったことは確かである。

今のミニはBMW製だが、旧ミニはローバー、更に遡ってオースチンのナッフィールド社吸収で生まれたBMCから生まれたのだが、オースチンの作品ではない…イシゴニスがナッ フィールド時代に、構想をまとめていた車なのだ。(ナッフィールド=ライレイ、ウーズレイ、モーリス合併で誕生した会社)

が、今日はミニの話しではない。ミニの前にイシゴニスが開発したのがモーリス・マイナー。ミニの誕生は59年、モーリス・マイナーは、WWⅡ直後の48年である。

マイナーのコマーシャルバン

その頃の英国車は元気一杯、ドル稼ぎの優等生として、英国経済再建では大きな存在だった。で、人気の順に並ぶ当時日本の車雑紙では、筆頭がアメ車、二番手が英車、以下順にドイツ、フランス、イタリアと並んでいた。

さて、ミニの長寿さは誰も知っているが、実はマイナーも長寿名だった。1948年から実に22年間も生産されて、その数150万台というのだから立派なもので、世界中に輸出された。

当初マイナーの心臓は直四サイドバルブ28馬力だったが、52年にはOHV30馬力に、55年には945cc45馬力になりモーリス1000を名乗り、最高速度も110から120㎞にアップする。

マイナー1000トラベラ―:ウッドワークが風情を生み出しているが同じ車でもオースチンブランドはカントリーマンと呼ぶそうだ

日本では53年頃見掛けるようになり、輸入元は赤坂溜池31番地の日英自動車で、マイナーの他にオックスフォード、ウーズレイ、MG、ダイムラー、ランチェスター、そしてトヨタクラウンなどが店頭に並んでいた。