【車屋四六】カブト虫に危機到来

コラム・特集 車屋四六

現在 世界有数のフォルクスワーゲン社だが、欧州の自動車屋では歴史が浅く、ブランド継続の危機に遭遇したこともある。そんな危機を乗り越えられたのが、ゴルフの開発だった。

欧州の自動車業界でVWは新参者でも、その発足はWWⅡ以後ではなく、戦争前である。世界中から悪者呼ばわりされるヒトラー総統だが、二つ善行を施したと云われている。
一つは、アウトバーンの建設。二つ目がVWの開発である。

耳にタコ的話しではあるが、政権を掌握したヒトラー総統は、WWⅠ敗戦以来の不況をからの脱出を考えた。その中の一手段として「懸命に働けば車が持てる」と公約したのである。

その{安く丈夫な経済車}の開発を請け負ったのがポルシェ設計事務所。やがて試作車が完成→ヒトラーのゴーサインが出て、欧州一の自動車工場も完成した。

そこで生産が始まれば良かったのだが、これからという時にポーランドにドイツ軍が侵攻してWWⅡが始まり、工場は兵器生産に全力投球、自動車どころではなくなるのは当然の成り行きだった。

 

が、やがて敗戦。が、工場は兵器生産の一大拠点だから、爆撃で瓦礫の山。それを整理して工場再開…生まれたのがヒトラーの遺産。それにフォルクスワーゲン=大衆車と名付けて売りだした。

が、VWは戦後の急場しのぎで生まれた軽=バブルカーではなく、本格的乗用車だったことが受けて、予想外な人気で生産量が伸びて、会社もポルシェも感無量だったという。

もちろん人気に乗じて世界各国にも輸出され、少々可愛く先進的奇異な姿に、大量消費の米国で{ビートル}の愛称が生まれ、日本ではカブト虫と呼ばれるようになる。

ちなみに同一ブランドの生産量世界一はカローラだが、同形式となると長い間世界一を認められていたフォードT型を破ったビートルで、2000万台を越えたのである。

が、余りに売れすぎた結果、後発動機+後輪駆動+可愛い姿の強烈イメージが完成して、生半可なフルモデルチェンジでは受け入れられなくなった。ポルシェ911と同じ運命である。

フルモデルチェンジへの最初の挑戦は、1961年誕生のVW1500だった。当然のように走行性能・居住性、どれもが上回っていたが、ビートルファンを納得させることが出来なかった。

後継車として期待を掛けて開発されたVW1500だったが

ビートルの個性尊重でRRを継承するも、姿に個性がなかったからなのかも知れない。それではと65年プレーンバックの1600TLを登場させるが、これも駄目…こいつはVW最大市場で、米国人好みのプレーンバックにしたら、という魂胆があったのだろう。

で、70年-K70、71年-412、72年-パサート、74年-シロッコと連発するが、どれも成功しないので、人気が落ちないことから、相変わらずビートルの生産販売は継続された。

四苦八苦の末、真の後継車として市場に登場したのが、74年生まれのVWゴルフだった。が、人気が落ちないビートルの生産は78年まで続行され、世界20ヶ国にわたる生産拠点の生産は21世紀に及ぶところもあり。なんと最終生産の2003年までの累計生産量を、2152万9464台まで伸ばしたのである。

素晴らしかったが営業的失敗作のVW-K70:工業技術院村山試験場のK70/谷田部高速試験場完成前の試乗は此処で。後方バンクは110㎞が限界、荒れた路面、西武電車から丸見えという機密性皆無のコースだった