【車屋四六】便利な自動変速/ATは何時頃生まれた 

コラム・特集 車屋四六

自動変速機/ATが当たり前の世の中になって、マニュアル変速機は、マニアックな変速機になってしまったようだ。
世界で一番早くATを普及させたのは1960年前後からの米国だが、欧州人は頑固で、未だにマニュアルに固執している人も多い。

欧州人が手動変速に固執する理由の大半はケチ…理由は燃費と買うとき安いだが、21世紀に入りAT時代の幕が開いたようだ。そんなケチがATに乗りはじめたのは、日本人の知恵と努力を認識すべきである。

大排気量で発達したATを、小型車向きに進歩熟成させた日本のATは、コンパクト高効率、当然燃費良好だからケチな連中も納得…ベンツ、BMW、ボルボなど名だたる欧州のメーカーが、日本製ATを採用している→論より証拠である。

ATを普及させた米国、小型車にも嫌われないようATを熟成させ燃費向上に成功したのは日本だが、そもそも面倒なシフトとペダル操作からの解放を目指したのは欧州、それもごく初期のことだった。

ATの主流は遊星ギアとトルクコンバータのコンビだが、ベルト駆動無段変速のCVT、またマニュアル変速機を電子制御で上手に自動変速する機構も普及を始めている。

米国でAT普及開始の50年代、欧州ではベンツ(サキソマット)や、DKW、サーブなどの半自動とでも云うか、遠心クラッチと電気の助けを借りた半自動は、クラッチ不要だがシフトは手動だった…日本でも日野ルノーや日産チェリーで登場したが普及しなかった。

が、いすゞのNAVI-5は乗用車では普及しなかったがバスやトラックで生き残り、近頃発達の電子技術で、この型式は甦った。ルノーツインゴやフィアットのATで、その最先端を行くのがF1のパドルシフトだろう。

電子制御不在時代のサキソマットなどは、シフトレバーを握るとクラッチが切れる仕掛けだった。いずれにせよ、これらの製品は皆WWⅡ以後の物だが、クラッチ操作不要の願望は古く、ルーツをたどれば20世紀初頭にたどりつくのである。
WWⅡ以前のATに関する発明工夫はほぼ全滅したが、フレデリック・ランチェスターのプリセレクター・ドライブは量産販売されて、なんと1950年代まで生き抜いたのだから驚きである。

トノーの運転席周り:手前の長いレバーはステアリング、次がプリセレクターのレバー、最後がブレーキレバーと推測する

そもそもランチェスターは1895年創立の英国最古の自動車会社。が、1931年にダイムラーの傘下に入るが、ランチェスター最後の出荷が1956年で、ブランド名は長命だった。

最初のプリセレクター・ドライブは、1900年登場の10馬力車で、フルードカップリング/流体接手と遊星ギア/プラネタリギアの組み合わせだから、現在主流ATの元祖と呼んで差し支えない。

今のATはバルブボディーの油圧回路を自動で切変るが、ランチェスターのシフトは足踏み式で、その前に希望のギアにセットするので、プリセレクターの名が生まれたのである。

私の愛車だった53年型ランチェスターは、初めの戸惑いは何処へやら、馴れたら具合良く、渋滞ノロノロ・坂道発進・クリーピングでの車庫入れなど、エンストの心配皆無、しかも燃費も良く具合の良い車だった。

愛車ランチェスター・レダ1953年型:上場前の不二サッシに運転出来ない恐怖車あり、で安く購入。走ると半クラッチ不能→突然飛出し衝突しそうに→取説読めばクラッチではなくギアシフトペダル→仕掛け飲み込めば実に具合良く、思わぬ拾いものだった