【車屋四六】憧れはマルエヌアンテナ

コラム・特集 車屋四六

写真トップのパンフレットは、茅場町で給油所&修理工場をやっていた頃だから、昭和35年=1960年頃だろう。観音開きの初代クラウンが登場した年で、日本製乗用車が国際水準に追いついた頃だが、やはり信頼感では外国車、特に人気はアメ車だった。

そのアメ車でも、高級になるとオールパワーが自慢。パワーステアリング、パワーブレーキ、パワーシート当たり前、そしてまだ珍しいエアコン付きなら夏も快適だった。

高級車のラジオは選局も自動、アンテナも走行中室内から上下可能なオートアンテナで、これが憧れの的。が、当時はアンテナを出したまま駐車しようものなら折ってしまう不心得者が多く、フェンダーミラーも被害が多かった。

アメ車でも中級以下、また外車でも欧州車はオートでなく、もちろん日本の乗用車にオートは皆無だった。そんなところに登場したのが、後付け用品のオートアンテナ。

自動アンテナメーカーには幾つかあったが、中でも大手はマルエヌ製作所。マルエヌは、ボッシュ型ヒーターやエアコン普及前に流行ったバッテリー駆動の車内用扇風機などで知られていた。

さて、アメ車の自動アンテナはマニフォールドの負圧、吸い込む力で動いていた。で、アクセルを踏んで負圧が低下すると上下の動きが鈍くなるという欠点があった。もっとも負圧利用はワイパーでは歴史が古く、30年代から使われており、雨の夜、不注意に踏み込むと、前が見えなくなってハッとしたものである(負圧量が少ない欧州小型車では負圧を貯めるタンク付きもあった)。

そこへいくと、マルエヌは12V電動だから、何時でもインパネのスイッチで上下させることができ、途中、好きなところで留めることが出来る便利な仕掛けだった。

広告の「下げたとき根元まで一杯に入るので、破損、悪戯、盗難の憂いが全くない」とは面白い文句である。当時アンテナで一番の心配は、やっかみ気分で折られ曲げられることだった。

マルエヌの値段は、当時の大卒初任給がスッ飛んでしまうほどだったが、自家用車族は裕福だから人気があった。中には交差点で停車中、アンテナを上下させて優越感にひたる者もいたが、大部分はアンテナを折られる悔しさからの逃避だった。

もっとも、当時の製作技術ではトラブルもあり、その大半は、完全に引っ込まなくなる故障だった。アンテナの棒を上下させるワイヤーの位置がずれると、一杯引き込んだつもりなのに停まってしまうからだった。

ちなみに、当時のアンテナでルーフ設置の物は良いのだが、フェンダーから手で引き出すタイプ、中には出っぱなしというのもあって、こいつの被害は相当なものだった。とにかく格納してあるアンテナを引き出して折るという、面倒?を気にしない加害者がたくさん居たのである。

で、アンテナを押し込むとロックするタイプが考案発売された。が、発進時に引き出すのを忘れると、車を停めて降ァりないと引き出せず、ふところ豊かな人は、電動オートアンテナを「高いな」と思いながらも取り付けたのである。

ちなみに、1960年=昭和35年に登場した日本製ニューモデルというと、トヨペットコロナPT20、日産セドリック30、三菱500、マツダR360クーペ、スバル450。戦後の復興期も過ぎて、岩戸景気と呼んで高度成長時代へと踏み出した頃で、閣議は所得倍増政策を発表、世の中消費ブーム、クレジットカードが登場した頃だった。

マツダR360:アンテナと同時代にマツダはこの車で三輪車市場から四輪車市場に転換進出という記念すべき作品