【車屋四六】シクロモーターからデンチャリ

コラム・特集 車屋四六

ダイハツはれっきとした四輪自動車メーカーなのに、どういう風の吹き回しか、昭和49年=74年に二輪市場に参入した。

と云っても、フランスではブランド物のソレックス。エンジン付自転車で、ヨーロッパではシクロモーターと呼ぶヤツである。(写真トップ:ダイハツで輸入販売のフランス製ソレックス・シクロモーター。報道試乗会で明治神宮外苑を走行中の筆者とモデル)

フランスでは簡単便利な乗り物として、老若男女を問わず親しまれまれ、当時一〇〇万台が稼働していたという。もっとも保有数ではイタリアがトップ、ドイツが二番目、フランスは三番目だが。

ソレックスは、空冷単気筒49cc・0.4馬力ながら、30kgの車体に一名乗車なら十分に実用的。日本の法規制で最高速度18㎞だったが、実際には30㎞で走れる実力の持ち主だった。日本で18㎞は、20㎞未満なら、速度計・制動灯・尾灯・方向指示器を省くことが出来るからだ。

エンジン上部一体のガソリンタンク容量は1.3L。燃費70~90km/L。当時は取得税なし、原付一種自動車税500円/年、自賠責保険3500円、いずれにしてもタダみたいなものである。

60年代のロンドンの街角:拡大するとシクロモーター後部に専用の鞄が取り付けられている

駆動力伝達は、エンジン下部のローラーを、エンジンの重みでタイヤに押しつけるだけという簡単な仕掛け。

エンジン始動は①デコンプレバーを握りペダルを漕いで適当な速度に達したらレバーを放すと始動、②クラッチレバーでエンジンをタイヤから浮かしてペダルを漕ぎ適当な速度でクラッチを繋げばタイヤの摩擦で始動する、③馴れれば押し掛けという手もあった。

遠心クラッチ内蔵だから、ブレーキレバーを握っていれば停車中もエンストしない。雑誌取材で試乗後、気に入って早速注文したら、金6万9000円だった。

買った目的は不純な動機だった。銀座と麻布の我が家との往復。その頃銀座は、良き時代の銀座とは様変わりして駐車禁止。更に酒酔い運転の取り締まりも厳しくなってきていた。

加えて乗車拒否も盛んになり、深夜「麻布まで」では乗せてくれない。が、ソレックスを店の前に駐車「何処に停めたの」「店の前」と云うと、感心するママを見るのが楽しかった。

バーやクラブの前に停めて飲んだ楽しい昭和30年代の復活だった。時間を気にせずに飲んで、帰宅は2サイクル排気音の伴奏で鼻歌交じり。が、きょろきょろと眼だけは前方注視。

遠く電柱の陰にお巡りさんを見つければ、即座にエンジン停止でペダル走行に。当時、飲酒自転車運転の取り締まりは皆無で、無事通過すれば再始動で一路我が家へという寸法である。

もっとも別の目的で役立つことにも気がついた。物書き家業というものは運動不足。止せばいいのに万歩計を付けたら一日千歩にも満たない日があり、愕然とした。

で、外出はなるべくソレックスで。少々重い自転車を一生懸命漕いで、ジョギング代わり、疲れたらエンジン走行という妙案だった。それからは広報車受け取りも自転車で行き、返却したら自転車で帰ってくれば、健康と便利一石二鳥だった。

振り返れば、ホンダもスズキも出発点はシクロモーター。が、一流二輪メーカーになった後年にも生産したのに、何故か日本市場には受け入れられず、安価手軽な乗り物なのに消えてしまった。

60年代のパリの街角で:女性のは軽バイクだが後方男性がシクロモーターを運転

反省すれば、本来愛用すべき若者にはカッコー悪い乗り物で、財力ある若者や中年以降は、本格的バイクということなのだろう。

20世紀末頃から、一升瓶の日本酒は飲まないが、カナ文字ラベルを貼ったワインもどきの瓶に詰めれば飲むようで、シクロモーターもカッコー良くさえしてやれば、と思ったりもした。

が、そんなことは取り越し苦労。最近の電チャリブーム、こいつは正に発動機を電動機に代えただけのシクロモーターである。

便利な乗り物に気づいたのは、格好を気にする若者男どもではなく、実用優先のヤングママ達だったが、今では老若男女全てに愛されている。――年老いた老骨が心配することはなかったのである。