【車屋四六】世紀の傑作チンクエチェント

コラム・特集 車屋四六

60年代ローマに行った時のこと。アリの行列のように街中を走る可愛らしい小型車に感心した。当時の日本は、サニーやカローラ登場でマイカー時代の幕は開いたが、街中に車があふれるというような光景に出くわすことはなかった。

可愛いアリはフィアット500で、通称チンクエチェント。チンクエチェントとは、イタリア語で500の意味である。

誕生は57年。爆発的人気でイタリアの国民車的存在となる。失礼だが、当時のイタリアは欧州では比較的経済レベルが低く、また各都市では路地のような狭い裏道が沢山有るのと相まって、小型車500の人気が出たのだろう。

当時、敗戦の後遺症を引きずる日本向きだと思ったが、なぜか人気が出なかった。一握りの裕福層は米車一辺倒、小型は英車。仏車も独車もごく僅か、イタ車になるとほとんどのユーザーが目を向けなかった時代のせいだったろうか。

チンクエチェント=500の登場はWWⅡ以前の34年。見たければフィアット500A型トポリーノ36年型がトヨタ博物館にある。大衆に愛された500は、その可愛らしい姿から、二十日鼠=トポリーノと愛称されるようになる。(写真トップ:フィアット500Aトポリーノ。二座席だがカンバストップを開いて運転席後の荷台に頭を外に出して座りイタリアン的四座席に。日本だったらたちまち警察が)

トポリーノの開発は鬼才ダンテ・ジアコーサ技師。48年、元来の二座席を四座席にした500B登場。戦後のどさくさ時代、小さな車に沢山乗りたいとの希望に応えたのだ。フレームを少し伸ばし後輪バネを強化、スライディングの幌トップを開けて、従来荷台だった所に頭を出して座り4~5人乗りへ。

フィアット500Bチンクエチェント:500AをベースにWWⅡ後の衣替えでスマートに。荷台にクッションが付いた。代理店日本自動車の前で奥にフィアット1100の顔が見える

49年登場の500C型では、米車の影響を受けたモダンな姿に変身するが、後半部は500B譲りのままだった。

日本では赤坂溜池、老舗の日本自動車が輸入元。昭和30年代、正規輸入の500Cが、私の修理工場へ整備に良くやってきた。オーナーは、味の素本社裏のメイコーという喫 茶店の主人だった。

フィアット500のAからCへの長い旅は、FR=前エンジン後輪駆動という基本構造だったが、その旅が終わり次世代への進化で、なんとFRからRRへと大変化する。この変身はジアコーサに、VWビートルやルノー4CVが影響を与えたようだ。

で、55年に登場したのがフィアット600=セイチェント。

さて500Aはサイドバルブ2ベアリングと必要最低限設計エンジンで、569cc13.5馬力だったが、全スチールボディー、油圧ブレーキ、前輪独立懸架と当時では最先端技術の小型車だった。そのエンジンは500Bで、570ccOHV、16馬力に強化される。

注目すべきは、ラジェーターグリルをかなり傾斜させた500Aは、前方にラジェーターが入らず、エンジン後部に設置したこと。またエンジンを前車軸にオーバーハングさせ、前輪荷重増加を操安性の向上に繋げ、一方で室内前後長を稼いで、足下にゆとりを持たせるなど、工夫を凝らしている。

もう一つ、ドアは後ヒンジの前方開き。こいつは乗降性重視で、昔のヨーロッパ車には多く見られる形式だが、安全上は問題があろう。私のマイカー、53年型ライレイ1.5(英)も四ドアの前席側前開きだった。

チンクエチェントは、VWやミニ同様、世紀の傑作の一台と云って良かろう。500Aとは無関連だが34年=昭和9年生まれの日本芸能人リストがある。石原裕次郎、若尾文子、司葉子、池内淳子、大橋巨泉、中村メイコ、宍戸錠、藤村俊二、ペギー葉山など。

フィアット600ムルティプラ:FRから180度転換でRRに転換して驚かせた。居住空間がグンと広がった

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